〔第13話〕ラジオの新たなかたち・私論

** 現在の原型を創った70年代の民放ラジオ〈Part 3〉**

〔70年代の番組編成と注目された番組群そして民放連の活動〕

 テレビの急速な普及により大きな影響を受け、経営的に苦心していた民放ラジオは、1960年代後半から1970年代にかけて独自の番組編成を構築し、再起を図っていった。また、同じラジオでもFM放送が本格的に放送開始し、ラジオ多様化と特色ある番組編成が展開されていく。大都市ではAM対FMという構図のなかで、AMは媒体開発に積極的に取り組んだ。たとえば、内容のあるトーク番組へ、パーソナリティの育成、地域メディアとしてのラジオ強化など番組編成に取り入れていく。

 一方FMは、音楽中心の番組編成により新たなリスナーを獲得していった。そうしたなかで民放連ラジオ委員会はラジオ統一キャンペーンを展開、“はらちの献血”キャンペーンは75年から10年間継続され、ラジオの社会的貢献を世間にアピールした。また、媒体開発の一環としてCM効果と広告料の相関関係を説明する「リーチ&フレキュエンシー(到達と頻度)」理論の導入と実用化あるいは消費者側に立った調査分析なども資料化し、広告主への説得を図っていった。

 その結果、広告メディアとしてテレビと異なるラジオメディアが定着していった。民放ラジオのこうした対策がラジオ復活の大きな原動力となり、テレビ主流の時代のなかで、民放ラジオの新たな存在を構築したのが70年代のラジオといえる。また70年代はポスト高度経済成長という時代にあって、人々は「モーレツからビューティフル」へと意識が変化した。個人のライフスタイルが求められ、豊かさのなかに個人的趣向を追求する生活が広まった。民放ラジオがリスナー層をクラスタ―に分類できたのは、豊かさに支えられた消費者の個人化という社会的背景が広がっていったからである。

 音楽で例えると、団塊の世代が大人になり、音楽への関心が飛躍的に方高まったことから、個性豊かな“ニューミュージック”という新たな邦楽を生み出して行ったことも同じ背景を持つ。この結果レコード産業が成長するとともに、新たに登場したFMラジオに音楽ファンが殺到する。「FMfan」などFM雑誌が3誌も発行され、100万部近い発行部数を誇っていた。ポスト高度経済成長時代の消費者が個人のライフスタイルを求める傾向がAM/FMのラジオを支えていたといっていい。

 ここから民放ラジオがどのような番組を放送し、支持を集めていったのか、具体的に取り上げたいと思う。民放ラジオがテレビによる低迷から抜け出し、復活を遂げた66年ごろからラジオ編成は大きく変わり、その基礎となったポイントがテレビではできないラジオの優位性を番組化したこと、すなわち番組がマスではなく限定多数へのアプローチするため、ワイド番組と魅力あるパーソナリティに焦点を当てた番組づくりだ。70年代はそれら60年代後半に生み出された番組要素を強化進展させた。その例を具体的にあげよう。

 (a)オーディンス・セグメンテーションの更なる追求、(b)重要性を増すパーソナリティと新たな発掘育成、(c)ワイド番組の充実と生活情報へ力点、(d)主婦・ドライバー・若者など新たなリスナーの開拓と進化、(e)地域ラジオとして地域リスナーの聴取拡大、といった言葉が当てはまる番組編成に構築されていった。まずビジネスマン、オフィスレディを対象として朝ワイド番組とパーソナリティの登場、日中の主婦・ドラーバー対象としたワイド番組と女性に好まれるパーソナリティの育成、深夜の若者向け番組群などなど、全体が生放送を前提とした番組編成に組まれていった。

 こうした編成のなかで特質されるのが「JRN」と「NRN」に代表されるラジオネットワークの役割である。民放ラジオの全国放送を可能としたこれらのネットワークは「ナイター中継番組」「ニュース報道番組」「深夜放送」に力を発揮した。現在の民放ラジオもそうであるが、全国放送と地域放送の2つの役割を果たすことにより、ラジオの影響力を発揮できるメディアとなって行った。70年代に「深夜放送」の基礎が創られていったのである。


〔70年代の注目された番組群〕
 まず、最初にあげねばならないのは、民放ラジオが開拓の目標としたリスナー層の1つ「ヤング・ジェネレーション」の開拓があったが、これはすでに知られている通り各局が取り組んだ「深夜放送」である。60年代の後半に番組開発され、徐々に人気をあげていく。その代表格がニッポン放送の「オールナイトニッポン」、東京放送(TBS)の「パック・イン・ミュージック」、文化放送の「東京ミッドナイト」(後セイ・ヤング)などで、ネットワークを通じて全国に放送されていった。

 各番組のパーソナリティ変遷をみると60年代と70年代にある変化が生まれている。 60年代の代表的パーソナリティは糸居五郎高崎一郎土居まさる亀淵昭信、斎藤安弘、斎藤務、落合恵子野沢那智白石冬美、増田貴光、戸川昌子田中信夫北山修矢島正明といったアナウンサーや俳優声優が中心となって音楽を中心とした番組が展開された。70年代になると、パーソナリティの性格が各局とも大幅に変化する。「オールナイトニッポン」は異色の芸人・タレントを起用した。小林克也泉谷しげるあのねのねカルメン笑福亭鶴光タモリ所ジョージつボイノリオなど、「パック・イン・ミュージック」は山本コータロー、愛川欣也、河島英五南こうせつ小室等杉田二郎など、「セイヤング」は岸田智史谷村新司吉田拓郎、グレープなどだ。

 一言でいえば、60年代のアナウンサー中心から面白トークやタレント性を出せるパーソナリティへのシフト変更である。それは深夜=音楽メディアから深夜=共感メディアへのチェンジであったといえる。深夜自室に1人でいる若者が、信頼する兄貴分のパーソナリティに可笑しな話を聴かせてもらったり、悩みを聴いてもらったり、同世代の出来事に共感したり、と若者生活と一体になった番組づくりが爆発的なブームを起こし、若者への大きな影響力を持つに至ったのだった。(つづく)






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