〔第12話〕ラジオの新たなかたち・私論

**現在の原型を創った70年代の民放ラジオ〈Part 2〉**

〔70年代の総広告費に占めるラジオの位置と営業展開〕


 70年代のメディアは、テレビ・新聞・ラジオ・雑誌という現在4大マスメディアといわれる形がほぼ出来上がった時代といえるが、このことは日本の広告費のシェアをみると分かりやすい。日本の総広告費は1960年頃から国民総生産の1%前後に定着している。たとえば、1970年では73兆円のGNPに対して総広告費は7500億円(1.03%)、10年後の1980年には3倍成長してGNP235.7兆円に対して総広告費2.28兆円(0.97%)となっている。因みに2012年のGNPは475.87兆円に対して総広告費は5.89兆円(1.24%)とである。

 では、総広告費のなかでラジオ広告費の占める割合はどのぐらいか。70年代10年間の総広告費は3倍に伸び、毎年平均18%成長した時代である。そのなかでラジオのシェアは10年間4.6%〜5.0%の推移である。雑誌は5.3%〜5.6%、ラジオよりちょっと高いがほぼ同じ状況である。70年の新聞が35%から徐々に下降、逆にテレビが32%から徐々に上昇していく。ほか20%前後が屋外広告などそのほかの広告費である。こうして総広告費からラジオの位置づけをみると、70年代のラジオは5%メディアであったといえる。広告業界でラジオが3%メディアといわれたのは少々後の時代である。

 ラジオの5%メディアと社会的影響力とは相関関係にあるとはいえないが、聴取率調査における聴取人口、あるいは実際の影響力として現れた数字や成果を総合的に判断しないと社会における影響度は定まらない。日本の総広告費に現れた数字が5%である。しかし、民放ラジオの経営資源であるラジオ広告費は、一般企業からみたメディア価値として位置づけられているのは現実であり、ラジオ局の経営規模を位置づける数字でもあった。その意味で5%メディア、後の3%メディアという表現はラジオ業界の規模を判断できる数字といえなくもない。

 さて、民放ラジオの復活はラジオ広告費の復活であるが、ラジオ営業としてどのような政策を推進し、結果的に広告メディアとして復活していったのであろうか。民放ラジオの営業展開を見てみよう。テレビの急速な普及によって低迷を余儀なくされたラジオの1965年以降、民放ラジオ局の経営者と社員が一体となって、ラジオメディアの価値を再認識させる活動に奔走した。それ1つがラジオ資料でリスナーの研究と調査、あるいはスポンサーの販売に結びつくケーススタディづくりなどである。

まず、最初に触れなければならないのは、ラジオ衰退の最中に民放連が取り組んだ活動は「ラジオ白書」(1964年)を刊行したことであろう。ラジオメディアとして再認識のきっかけとなったもので、タイトルが「ラジオ白書――ラジオに変貌と再認識」である。その内容は(1)ラジオの変貌と実態を明らかにすること、(2)ラジオの番組と事業の両面から実態を描くこと、(3)ラジオ復興の問題点を指摘すること、の3点である。特に(3)で触れられている従来の見方―ラジオはマス・コミュニケーション「不特定多数」を対象にしたメディアではなく、「限定多数」を対象としたマス・パーソナル・コミュニケーションとみるべきであるという考えを提起したことであろう。

 これは後に番組編成で取り入れられる「オーディエンス・セグメンテーション」(リスナーを属性によって区分する方法)や「ラジオ聴取の個人化」、あるいはテレビに不向きで、ラジオの特性となった「ながら聴取」などラジオの特性や機能を新たに生み出していった。それを営業分野では、スポンサー側の「マーケティング・セグメンターション」と結合させる企画開発と実施、地方局では「エリア・マーケティング」に繋がる調査や番組と連動したイベントの開発など積極的に生み出し展開していった。

 たとえばTBSラジオ(東京放送)はラジオ調査シリーズ「マーケットに浸透するラジオ」文化放送「市場におけるラジオの位置」、朝日放送の資料「12の誤解・ラジオは変貌しつつある」、東海ラジオ「ドライバーマーケットと東海ラジオ」といった資料を次々に作成し、広告主、広告代理店を積極的に説得していった。これらの資料はマーケティング理論を背景にしたものや、市場調査の結果からラジオの有効性を示したものなど、科学的な説明や分析が施された内容であった。

 こうして民放ラジオ業界全体の努力が実り、広告代理店は積極的なラジオ営業を展開するようになり、いっぽうスポンサーである広告主は「ラジオ営業は理論武装した存在」として認識され、ラジオへの出向を再開していったのである。ここではラジオ営業の面から触れているが、番組編成における「オーディエンス・セグメンテーション編成」「ワイド番組とパーソナリティの活躍」「主婦層の番組開拓」「深夜放送による若者開拓」そして「2系列のネットワーク組織」など、営業展開と表裏一体となって新しいラジオメディアを構築したところに70年代に謳歌する民放ラジオの基礎が生まれていることを知っておきたい。(参考資料は民間放送年鑑、電通年鑑、民間放送30年史など。)(つづく)






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