〔第10話〕 ラジオの新たなかたち・私論

**ポスト高度成長期と民放ラジオの活躍**


◎ポスト高度経済成長期という時代 〈1970年代〉 (Part 3)


 1970年代は2度の「石油ショック」を経験する。最初の「石油ショック」は73年、これまで謳歌してきた高度経済成長をストップさせ、新たな時代に代わっていくエポックとなった。この原因は中東戦争によるものだが、第2次太平洋戦争の時と同様、石油に由来している。高度経済成長期の日本は石油の80%をアラブからの輸入に依存していた。その価格が4倍に跳ね上がってしまった。

日本の経済はお手上げ状態になり、国内の物価が急騰する。成長、成長と現を抜かしていた政界財界そして国民は、どう切り抜けるか真剣に取り組まねばならなくなった。折しも日米経済摩擦の浮上や変動相場制への移行(1ドル=360円の終焉)など、国際関係に広がる懸念が多発し、日本の状況は政治経済はじめ社会・文化の分野も大きく変わらずを得ない時代になったのである。

 この時代のテレビコマーシャルにボンカレー大塚食品)の「じっとがまんの子であった」というセリフがある。ともかく庶民はじっと我慢して、嵐の通り過ぎるのを待つほかない世相であった。銀座のネオンは消え、テレビは深夜放送の中止、スーパーからトイレットペーパーが消えるという事態も起こった。この時の国民は自分たちの生活を見直し、節約、貯蓄、贅肉を落とす、という姿勢に取り組み、この苦境を乗り切った。この経験が2度目の「石油ショック」に生かされる。世界的に大騒動となっているにもかかわらず、日本は国民の自粛と巧みな対応で乗り切った。

 70年代は、豊かになった生活環境を〈これでいいのか〉と国民が問う時代になっていく。そして豊かな生活のなかで意識が大きくかわっていく時代でもあった。日本人の意識の変化についてNHK放送研究所が行っている調査からその一端を紹介しよう。NHK発行の雑誌「放送研究と調査」(2009年4月号)より、日本人の意識の変化を拾ってみる。たとえば、家族のあり方について〔望ましい家族〕では、夫婦の役割が旧来の分担ではなく《家庭内協力》に比重をおく意識が強くなる。73年の21%が83年には29%へ、93年には41%へ増加している。

また子供たちの教育程度については次のような結果がある。男の子の場合〔大学まで〕の進学が73年では64%、83年では68%、93年では70%と多少上がっていくが、女の子は〔短大・高専まで〕が73年では30%、83年では43%と13%もアップ、93年では40%と多少の減少、それに代わって〔大学まで〕という希望が増えていく。

人間関係について、親戚づき合いでは全面的つき合いの減少や形式的つき合いが増えている。職場での付き合いにおいて、全面的つき合いは全体的に数値が多い割に減少しているが、形式的つき合いは徐々に数値を増している。このほか興味ある項目が多数あるが、スペースの関係で触れられない。関心がある方は上述した雑誌「放送研究と調査」2009年4月号の記事と調査結果を参考にされたい。ネットで閲覧できる。

 この調査結果にも現れている通り、日本人の意識は高度経済成長期を経験し、安定成長へ移行した1970年代に大きく変化していく。その変化の仕方を「ポスト戦後社会」(岩波新書)の著者である吉見俊哉は上記調査結果からこう記している。

 「変化は家族と企業の全人格的な結合が、同時に弱まっただけではない。同時期に『しっかりと計画を立てて、豊かな生活を築く』や『みんなと力を合わせて世の中をよくする』といった未来中心の考えが弱まり、『その日その日を自由に楽しく過ごす』や『身近な人たちとなごやかに毎日を送る』といった現在中心の考え方がより支配的になっていった。」「〈未来〉を基準にして現在を位置づけることは、近代社会の根幹をなす価値意識であったわけだから、70年代以降に顕著になるこの変化は、戦後社会という域を超えて、近代社会の地殻変動が始まっていたことを示している。」と記している。

 70年代は多くの分野で振り返る必要があるが、ひとことで言うならば、戦後60数年のなかで70年代は、日本の社会と日本人の意識が大きく転換した時代だったといえるであろう。この70年代こそ、4大マスメディアが日本の社会に大きな影響力を持つ存在として揺るぎない地位を確立するとともに、民放ラジオが60年代後半から70年代にかけて第2の全盛期を謳歌していくのである。その辺を次回は触れてみたい。(つづく)







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