〔第3話〕ラジオの新たなかたち・私論


**戦後復興期:民放ラジオの基礎ができた時代**

 
1期は戦後復興期(1945年〜1955年頃)、2期は高度経済成長期(1955年〜1970年頃)、3期はポスト高度経済成長期(1970年〜1995年頃)、そして4期は現在の経済社会停滞期である。1期と2期を一緒にするケースもある。もちろんこの経済の変遷とともに、政治分野、社会分野もそれぞれ表裏一体となって時代潮流を創り上げてきた。そうした時代の流れと民放ラジオの誕生から普及までの期間を次の触れる。


◎戦後復興期〈1945年〜1955年〉


 〔廃墟から独立国として歩み出した時代〕
 東日本大震災津波で丸ごと流失した市町村の跡は、B29の爆撃にあった各都市の廃墟を思い起こす人々が多かったというが、あの廃墟が全国の都市を覆ったのだが、そのなかから国民は立ち上がった。苦しいなかにも連合軍の指導する民主主義と言論の自由を受け入れ、戦前とは比較にならない自由の下で復興に努力していった。GHQ(連合軍最高司令官総司令部)は、(a)婦人の解放(b)労働者の団結権の保障(c)教育の自由主義化(d)圧政的諸制度の廃止(e)経済の民主化を図るため五大改革指令を発して、非軍事化と民主化の政策を推し進めていく。

 一方、国際情勢が大きく変化し始めた。毛沢東の中国と台湾の中華民国の対立、ソ連をバックにした北朝鮮と韓国の対立など、アジアにおける共産圏と自由圏の軋轢が激しくなっていた。GHQは占領政策の転換を図り、経済の再建と自立を求めるようになり、前者は経済安定九原則の実行を、後者は警察予備隊(のちの自衛隊)の発足を促していく。そして1950年、朝鮮戦争が始まり、連合国軍はアメリカ軍を中心に韓国と共に参戦し、日本は連合国軍の補給基地となり、にわかに朝鮮特需として好景気が訪れる。

 1951年には、日本の鉱工業生産は戦前の平均水準を回復した。この年サンフランシスコ平和条約が締結し翌年発効し、連合国軍の占領は終わって日本は主権を回復した。しかし国内政治は安定せず、保守革新の対立が激しく、社会を騒がす事件が多発した。1955年には保守合同といわれる自民党が結成され、社会党と共に2大政党として保守・革新対立関係、いわゆる55年体制ができ上がった。このころの国民は、貧しい生活から抜け出すために、アメリカのような生活物資の豊富な暮らしを夢見て、一心不乱に働いた。戦後のさまざまな政策と一体になってこの難局を乗り越えたといえる。新たな国づくりのなかでアメリカ・ドリームを追い求める〈理想の時代〉であった。


〔1951年誕生した日本の民放ラジオ〕

 民放ラジオが誕生したのはこの時期で、1951年9月1日名古屋の中部日本放送CBC)が第一声をあげた。続いて大阪の新日本放送、現毎日放送MBS)が放送を開始、すでに放送していたNHKとともにNHKと民放の並列時代を迎えた。テレビは、ラジオに遅れること2年、1953年にNHKと日本テレビが放送開始している。民放ラジオはNHKとともに国民的メディアとして普及に拍車がかかり、急速に普及していく。しかしテレビはあまりにも高価で一般家庭に普及するには時間を必要とした。

 民放ラジオ(AM)は1955年に全国40局を数え、現在のAMラジオの原型がほぼ出来上がった。番組編成はNHKと真っ向から勝負を挑んだ局とNHKより話題性に力を入れる局とがあったようで、ラジオが競争時代に入り、全国のリスナーに対しラジオ喚起が大きく進んでいった。メディア的にみれば、このころマスによる情報伝達手段は大手の新聞とNHKラジオであり、その後活字メディアの普及と民放ラジオの開局・受信機の普及によりマス・メディアとして広がりと影響力を持ち始めるようになった。一般生活者にはこれらのメディアが貴重な情報源となり、また文化娯楽に接触できるメディアとしても大きな役割を果たしながら発展した時代であった。

 いずれにしても民放ラジオは開局1年余で黒字化できる局が生まれ、好調の滑り出しをみせたようだ。企業がスポンサーとして番組を提供することに、企業自体もリスナーもあまり抵抗なく受け入れたようで、黒字化を推進する大きな要因となった。番組編成はNHK同様「総合編成」といわれる報道、教育教養、娯楽の番組が万遍なく編成され、幼児から高齢者までを対象に放送された。因みに番組編成時間をみると、朝の時間=家族全員、午前中=主婦、午後=主婦・商工自営、夜時間=家族全員、といった具合であった。

 また、放送番組はそれぞれ都会の局と地方局が連営して番組を協力し合うという、現在のネットワークとは異なった民放同士の協力体制で放送されたという。この時代は放送用通信回線ができておらず、主にテープネットといわれる録音番組を交換するものであった。ラジオ・ネットワーク化の原型とでもいえる形態で、その後ネット系列と組織が生まれていくが、こうしてテレビが登場する以前のラジオ全盛時代の基礎を構築していった。(つづく)





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