〔第2話〕ラジオの新たなかたち・私論

**民放ラジオの立ち位置を再認識するために 〈Part 2〉**

〈1〉 歴史的転換期にある21世紀初頭と民放ラジオ

 ラジオに携わっている人と会合した折に、いま自分がどんな時代の立っているのか分かり難いという人が案外多いと聞いた。不況の長期化、政治の混迷、格差社会、就職難などどれをとっても前向きなものがなく、行き詰った雰囲気=閉塞感のなかで、誰もが時代を把握するのに難しい世相と思われる。川の流れが堰き止められ淀んでいるような感覚だ。安倍政権による政策が良いか悪いかは別として、前向きによる影響が多少出始めてはいる。しかし民放ラジオの将来を考える時、いま動いている時代の底流をはっきり把握しておかねばならない。その手懸りとして専門家の分析する幾つかの歴史的状況に触れてみたいと思う。

 現代という時代は歴史の転換点にあり、“歴史の峠”といえる、と神野直彦(東大名誉教授)は著書「『希望』への改革」「分かち合いの経済学」のなかで触れている。近代という社会は3つのサブ・システムから構成されている。経済システム、政治システム、社会システムという3つの領域で、これらが有機的な結びつきによって社会全体が機能している。このシステムは、時代の転換と共に新たな形態を創り出していくことを過去の歴史は物語っているとして、歴史は世紀の変わり目に、「歴史の峠」を演出するという。

 19世紀から20世紀の転換期に大不況(グレイト・デプレション)を経験し、「総体としての社会」が崩壊の危機に陥ってしまった。現在の20世紀から21の世紀転換期にも同様な大不況が起きている。100年単位で起きる時代の転換期である。これは世界の歴史に現れている現象で、前者20世紀は軽工業中心の産業時代が終わりを告げ、鉄鋼業を基軸とする重化学工業の時代が始まろうとする時期であった。後者21世紀はその重化学工業を基軸とした産業構造の時代から、情報や知識を基軸とする情報産業の時代に変わろうとしている。

 この転換期に対して情報・知識産業による経済システム、政治システムそして社会システムという社会の総体を構成している分野が、どのように転換し推進すべきなのかを見い出せていないのが日本の「失われた20年」の姿であったようだ。明治時代は西洋化することに国家ビジョンがありその実現に邁進した。これを第1期とするならば、太平洋戦争後の民主主義国家の形成が第2期で、21世紀に入った日本は第3期を迎えているが、前2回と比べ、新たな時代の国家ビジョンが描かれていないのが現在である。社会の閉塞感の根本的原因は明日の姿を描けないところにあるのではないか、と分析する。

 それは民放ラジオにとっても同じことがいえると思う。時代認識を深めるために、ここ60数年の歩みを簡単に振り返ってみることにしよう。1945年に太平洋戦争は日本の敗戦で終結し、連合軍(主導権はアメリカ軍)に占領されたところからはじかる。300万人余の戦死者を出し、500万人もの在外邦人が無一文で帰国せねばならなかった国民、全国の多くの都市を焦土化した我が国は、全くといっていいほど何もないところからのスタートだった。その後半世紀を超え68年を数える。この時代を3つないし4つに区分されることが多い。それに従って概略を記していこう。(つづく)




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