【第126話】デジタルラジオのかたち・私論 (その46)

 当ブログテーマのまとめとして、2回にわたりラジオ衰退の構造的要因を6つほど指摘したが、今回からはラジオの復興再生を新たな視点から探ることとしたい。社会が激変する時代にあって、これからの姿を予想するのは難しい作業であるが、先人たちが創り上げた60年の民放ラジオの歴史を、新たな時代に蘇生させることが、ラジオに携わる人間の責務のように思われるからである。


■ プロローグ:報道番組「たね蒔きジャーナル」にみるこれからのラジオ!
 これからのラジオはラディカルな視点から解きほぐしていかねばならないが、突然現状のラジオから離れたレポートは理解しにくいと思われるので、最近ラジオの世界で話題となった1つの出来事に触れて、プロローグとしたい。

 2012年初秋、大きな話題となった民放ラジオ番組がある。毎日放送(大阪)の報道番組「たね蒔きジャーナル」が9月末で終了したが、8月頃からリスナーによる番組の継続運動が起こった。これからのラジオを考えていく上で、大きな出来事であったように思えるので、スペースを割いて記したいと思う。この番組はニュースとなる種の段階から取り上げ、事の経緯を伝えつつ、専門家の意見などを交えてニュースの本質に迫ろうという報道番組である。すでに3年間続いている番組だ。ことの発端は8月に入り、9月末に当番組が終了するらしいというニュースが流れた。番組のリスナーはtuitter、facebookあるいはblogで番組の継続を呼びかけた。その真偽を放送局に確かめつつ、当番組に出演した専門家や多くの知識人、ジャーナリストもそれに呼応して支援活動が始まった。

 そして番組継続支援の会「すきすきたねまきの会」が発足し、番組支援者の声の紹介、番組支援のための募金活動、放送局側との継続交渉など、活動を担っていった。多くの知識人やジャーナリストなど賛同者だけでも78人、非公表を含めると百数十人にも及んだ。また、募金活動は約1か月で1000万円余が集まり、その支援の関心度の高さを示した。継続交渉数度にわたって行われたが、いずれも支援者の声は聞き入れられなかった。番組継続運動の輪は、番組のサービスエリアを乗り越えて全国へ広がり、放送局への継続交渉時には全国から支援者が150人〜200人程毎日放送局の前に集まり、その交渉結果を聴いた(Youtube参照)。また、この出来事は新聞各紙(朝日、読売、毎日、東京、北海道など)一般紙にも掲載され、ラジオニュースとして全国的に強い関心を集めた。(継続活動については、HP「すきすきたねまきの会」参照。)

 ラジオというメディアがこれほどまでに注目され、リスナー(ネットユーザー)から注視されたことはあっただろうか。ラジオ局が閉局する際に放送局継続を訴えて支援活動が展開された例はあるが、番組自体の終了で、これほどまで継続活動が展開された実例を知らない。ラジオが衰退の路を歩んでいるなかで、これはラジオにとって貴重な出来事であり、これからの民放ラジオを考える上でさまざまな示唆を与えてくれている。どのような示唆か、幾つかをここで取り上げてみたい。

その1〈番組編成と番組づくりの視点から〉
 これからの民放ラジオは良質の番組を提供し続けることが大切さである。リスナー(生活者)が良質なコンテンツを選択して接触する時代にあって、選択に耐える番組内容でなければ生き残れない。その点報道番組「たね蒔きジャーナル」は、リスナーから高い評価を得ている一方、放送番組だけではなくネット上でも良く聴かれていた良質のコンテンツでもある。番組と連動した書籍が発売されているほどである。サービスエリアだけに留まらず、ソーシャルメディアを介して全国にリスナーが存在するほど支持されている。良質の番組を放送し続けるという条件を満たしている。

その2〈リスナーとの新たな関係づくりの視点から〉
 これからの民放ラジオは聴取率調査に評価基準を置くのではなく、見えるリスナー、行動するリスナーを確保することである。当番組「たね蒔きジャーナル」は、見えるリスナー、反応するリスナーの実態をものの見事に見せてくれた。これからのラジオの在り方に呼応している。ラジオの衰退はリスナーに影響力を発揮し得なくなったことに始まっている。この点を明確に捉え直さねばならないと思う。

その3〈ラジオとインターネットの連携強化の視点から〉
 民放ラジオ番組はソーシャルメディアと可能な限り連携連動し、具体的に番組内容を発信しリスナーの反応を受信する双方向メディアにならねばならない。その点「たね蒔きジャーナル」はソーシャルメディアと連携し、密度の高い交流を果たしている。聞き逃した人も、エリア外の人も聴取できる環境を創り、電波とネットとの連動が図られている。これこそこれからのラジオの在り方であろう。

その4〈ラジオがミドルメディアとして存在する視点から〉
 ラジオはマスメディアであるといわれていた時代はもう過去のものであり、現在はミドルメディアであることを「たね蒔きジャーナル」が如実に示した代表的番組であったといえる。ミドルメディアはマスメディアと異なりマーケットは狭いが深い繋がりを持っている。番組「たね蒔きジャーナル」の継続支援に現れたリスナーたちの情熱と行動はこれからのラジオを先取りした姿であったといっていい。(情熱と行動については番組支援活動グループ「すきすきたねまきの会」をご参考ください。)

その5〈窮地のビジネスモデル「民放ラジオ経営」の視点から〉
 民放ラジオは企業の広告料で経営するビジネスモデルが限界にきている。これからどのように経営するか、緊急課題としてラジオ経営者に突き付けられている。番組「たね蒔きジャーナル」の終了理由の1つに番組制作費の削減が取り沙汰されている。放送局側はこれに触れていない。ラジオ全体の収益は現在最盛時の2分の1に縮小している。1か月足らずで番組継続支援者から1000万円の支援金が集まった。この事実は大きい。民放ラジオ経営として直接リスナーから放送料を募るという発想は現在では不可能だが、企業の広告料だけに頼らない経営資金の求め方について、この出来事は示唆に富んだ発想与えてくれる。この点に関しては項を改めて詳しく記述したい。

 このように、番組「たね蒔きジャーナル」という良質な番組がリスナー(生活者)から具体的な形で支持されたことは、これからのラジオに掛け替えのない多くの事例を示してくれた。これらのこのことについては、論理的に後述したいと思っている。付け加えておきたいことは、当事者の毎日放送は、番組継続活動が起こった時点で何らかの対応をすべきであったが、全くといっていいほど対策を取らなかった。そして通常の番組改編として扱ったことは、ラジオの現状認識や可視化という社会的対応の術を欠き、旧態依然としたラジオの姿を露呈したといっていい。実に淋しい対応であった。(了)





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