【第123話】デジタルラジオのかたち・私論 (その43)

 民放ラジオは、その地域性を尊重することによって存在価値があると民放人はいう。その地域と密接な関係のある考え方「コミュニタリアニズム」(共同体主義)がいま注目されているので、ラジオを考える参考資料として少々触れてみたいと思う。


■ 白熱教室のマイケル・サンデル先生と「コミュニティ」の関係

 マイケル・サンデル著「これからの“正義”の話をしよう」がベストセラーになり、NHK教育テレビで放映された「ハーバート白熱教室」は大きな評判となって、哲学ブームを引き起こしたことは異色の社会現象といえるだろう。哲学者サンデル先生の授業がなぜこんなに評判を呼ぶのかと疑問を持っている人々も多いに違いない。確かに、対話形式の授業は課題の追求に分かりやすいし論理展開を提供してくれる。それにも増してサンデル先生の話術の見事さは人を引き付けずにはおかないのだろう。魅力ある授業の進め方もさることながら、注目され話題となっている背景には、課題の山積する日本人の混迷する時代背景があるのではないかと思っている。そんな姿を京都大学教授佐伯啓思は著書「反・幸福論」にこう書いている。

 「少し悪意を持ってみれば、誰もサンデルの述べているメッセージなどにはさしたる関心もなく、ハーハードの大教室で満員の学生を釘づけにして次々と議論を繰り出すサンデル先生のカッコよさに拍手しているだけかも知れません。たぶんそうでしょう。しかし、好意的にみれば、現代社会の二大価値観である「利益」の発想(功利主義)と「権利」の発想(リベラリズム)ではどうにも問題は解決しない、という漠然たる気分が広がっているのかもしれません。」

 テレビ番組を視聴しサンデル先生の本を読んで考えている一般の人は少なくないのではなかろうか。閉塞感漂う社会、人間関係の希薄化と家庭、学校の崩壊、心のよりどころの喪失など現代社会の抱えている問題課題の背景が浮かんでくる。ここでサンデル先生を持ち出したのは、サンデル先生が主張する思想「コミュリタリアニズム」(共同体主義)についてである。これからのラジオを考えるにあたって「ソーシャル・キャピタル」(社会関係資本)や「コミュニティ」とラジオが深い関係を創り出し、ラジオの活性化に繋がる重要な分野ではないかと問うてきたが、「ソーシャル・キャピタル」や「コミュニティ」に関係する理論的な背景として、この「コミュニタリアニズム」という考え方とつながりがあるのではないか、と思えたのである。専門家でもないものがこうした内容に触れるのは恐れ多いが、ラジオを考えていく過程で1つの参考になる思想として受け止めてほしい。では、この「コミュリタリアニズム」とはどんな考え方なのだろうか。分かりやすく言うならば、おおよそ次のような内容のようである。

 アメリカのレーガン大統領、イギリスのサッチャー首相が採用した政治経済政策は「リべラリズム」に基づいていたといわれる。日本では90年代に入りバブル崩壊で悩んでいた社会状況を何とか立て直そうと、政治家はこの「リベラリズム」の発想に立った政策を採用していく。その象徴が構造改革を打ち出す小泉政権の政策だったといえる。この「リベラリズム」は個人の権利や個人の自由を絶対的に価値とする考え方だ。これに対して個人ではなく集団の価値観を優先させる考え方が注目されるようになる。個人の自由や利益追求を最優先させるリベラリズムに対して、「社会」や「コミュニティ」から出発するところに特徴があるのが「コミュタリアリズム」という。

 「コミュニタリズム」は、人は生まれながらにして「自由」なわけでも「平等」なわけでもない。ましてや幸福になる「権利」を持っているわけでもない。人は、何らかの「コミュニティ」のなかで生まれ、教育を受け、回りの人と交わることによって生き方やさまざまな考え方を学ぶ。自由や権利にしてもそうした社会的文化的環境のなかで育まれていく。だから、人は常にコミュニティのメンバーであることを自覚していなければならない、というものだ。「自由」や「平等」や「権利」を獲得するためには、「コミュニティ」という集団で育まれた思考環境が重要で、その価値観は「共通善」という集団内で共通した善を優先させて考えていく、というものだ。

 「日本を甦らせる政治思想〜現代コミュニタリアニズム入門」菊池理夫著(講談社現代新書)にはこう記している。「アメリカのリベラルは『正(ライト)』、つまり個人の『権利ライツ』を尊重する『正義』を何よりも優先させます。それに対してコミュニタリアは『善(グッド)』、つまり普通の人々が共通してもっている『善』、あるいは、コミュニティの成員すべてが原則として追及していく「共通善」を優先させます。」こうした「共通善」を重視する「コミュニタリアニズム」そしてその考えを実践に即して考える「コミュニタリア」は、家族の次に地域社会を重要なコミュニティとして考える。われわれがその地域に生まれ、どの地域で育っていくというコミュニティのなかで生活してくもので、その生活から生まれるものの価値観やコミュニティ共通の考え方や発想はその集団の活性化に役立っていることは少なくないであろう。

 このように「コミュニタリアニズム」が「地域社会」や「コミュニティ」そして「ソーシャル・キャピタル」(社会関係資本)にも関係する思想といっていいであろう。この思想「コミュニタリアニズム」という舌を噛みそうな名前だが、素直に「共同体主義」と日本語で呼べばよさそうなのもだが、専門家にいわせると日本語の「共同体」という言葉には長い時代複雑な意味合いが含まれている関係で外国語をそのまま使用しているという。語感に今日性を持たせる必要があるのだろう。そういえば「コミュニティ」という言葉も日本語で「共同体」とイコールで使っている場合が少ないように見受けられるのも理由は同じなのかもしれない。

 ラジオ論を展開してきた当ブログでは、少々番外編として「コミュニタリアニズム」といった政治哲学を簡単に触れてみたが、これもサンデル先生の強い影響なのかもしれない。これまで触れてきた「ソーシャル・キャピタル」(社会関係資本)や「地域社会」そして「コミュニティ」をより深く理解する上で「コミュニタリアニズム」の考え方は非常に有効であることが理解できるように思う。(了)

参考資料
○「ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業」マイケル・サンデル著(早川書房
○「反・幸福論」佐伯啓思著(新潮新書
○「日本を甦らせる政治思想」菊池理夫著(講談社現代新書




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