【第122話】デジタルラジオのかたち・私論 (その42)

 新たな時代のラジオの社会的役割を探すために前回は「ソーシャル・キャピタル(SC)」の分野に触れてみたが、今回はソーシャル・キャピタルを社会的成果として支えている大きな分野「コミュニティ」にスポットを当てる。SCの成果を具体的に引き出していく活動といえるもので、ラジオの新しい役割と活動として地域とコミュニティ活動の分野は避けて通れない気がする。


■ いまなぜ「コミュニティ」が注目されるのか!

 「コミュニティ」というと一般的に「コミュニティハウス」とか「コミュニティひろば」とか、自治体が地域福祉のために設けている施設やそこに出入りする人々を思い起こす。しかし、いま政府や官庁あるいは地方自治体にとって「コミュニティ」は、停滞が続く日本社会、地域社会の活性化に大きな力を果たす分野として注目している。そのために「コミュニティ」を活性化するためにさまざまな施策が各方面で講じられている。以前当ブログで触れたことのある東京都台東区の“区民幸福度”の向上などは区の指標として、またコミュニティの環境づくりなど好例といえるだろう。では、「コミュニティ」とはいったいどのようなものをいうのであろうか。かつてよく使われた「共同体」と同じだろうか。「コミュニティ」をよく理解するためにもその定義や意味、そして現在注目される背景、これからのラジオが新たな社会的役割を担う分野としての根拠を探っていこう。

 「コミュニティ」とは、日本語で“共同体”“地域社会”“近隣社会”などと訳されているが、定まった定義や概念があるわけではないようだ。最近はNPO法人の活動やネットSNSなどによるコミュニティなども活発な動きをみせていて、個々の立場で幅広い解釈がなされている。内閣府による国民生活審議会の報告書「コミュニティ再興と市民活動の展開」(2005年)に記されている定義が分かりやすいので引用しておこう。「コミュニティとは、自主性と責任を自覚した人が、問題意識を共有するもの同士で自発的に結びつき、ニーズや課題に能動的に対応する人と人のつながりの総体をいう」とある。また、ここでいう地域については、生活圏レベルの広がりをいい、コミュニティは必ずしも生活圏に閉じたものである必要はない、ともいっている。

 現在の生活圏の広がりと現在のコミュニティ活動範囲の広がりをみると当然かもしれない。それだけ地域活動の範囲は広がっているし、ネットコミュニティなどを考えるとその広がりはさらに膨れ上がるかもしれない。時代の求める情報化、行動範囲、広がる参加者を考えると、このコミュニティの捉え方に納得する。また、これからのラジオについて論ずる時、ラジオが人と人との繋がりを強くし、信頼感を促進する大きなメディア特性を社会的な役割へ結びつけろという視点からみても、地域を共通点とする「地域コミュニティ」、「地域を超えるコミュニティ」、そしてインターネットによる「ネットコミュニティ」の3つの分野を併せて考えていく発想が必要で、上記の概念は重なるところが多い。

 なお、「コミュニティ」と「共同体」の呼び方であるが、上記の定義のように現代社会における役割を考えると外来語の「コミュニティ」といった方が相応しいように感じられる。「コミュニティ」の訳語は「共同体」である。この共同体という言葉も昔から日本社会に根付いていた言葉ではなく、明治時代に輸入された外来語の翻訳語ではないか、という説がある。従って「コミュニティ」の日本語が「共同体」であるといえる。ただ「共同体」は明治以降使われてきた言葉であり、村落共同体といった言い方で使わせてきた経緯があように思う。「コミュニティ」の“いまそしてこれから”を議論する場合、伝統的コミュニティと今の社会の問題課題に取り組むテーマ型コミュニティ、そして新たな交流が登場してきているネットコミュニティの3つ を分野を含めた発想が必要となってくるであろう。

 ではいまなぜ「コミュニティ」なのか。この問いに応えるにはここ半世紀の社会に歩みを振り返らねばならないが、その流れと本質を哲学者の山内節が著した「共同体の基礎理論」に簡潔に記されているので、少々長いが引用させていただく。

 「この時代(1960年ごろ)とくらべると今日の思想状況は驚くべきほどに変化している。社会主義が未来へのエネルギーを喪失したばかりでなく、近代的な市民社会もその問題点が目立つようになってきた。個人がバラバラになった社会は資本主義の駒として人間が使われるばかりであり、孤立、孤独、不安、ゆきづまりといった言葉の方が、個人の社会にはふさわしいことが次第に明らかになってきた。代わって、関係性、共同性、結びつき、利他、コミュニティ、そして「共同体」が未来へ向けた言葉として使われるようになってきた。自然と人間が結びつきを持っていることも前近代の象徴としてではなく、むしろ未来への可能性として語られるようになった。」「わずか半世紀の間に、共同体は克服すべき前近代から未来への可能性へとその位置を変えたのである。」

 的確な表現と思う。この半世紀、いやもっと短く四半世紀の間に社会の価値観がすっかりかわり、生活感覚も変わってしまったといってよい。そうした環境の変化を具体的にいうならば、生活の多様化が進行するなかで格差社会無縁社会などの顕在化する一方、様ざまな社会問題化する事象に既存組織(行政・企業)の範囲を超えてきており、新たな時代の新たな地域社会づくりに対して、一般の生活者も協力協働する環境が生まれている。こうした時代背景とともに、生活者自身にも安心安全の生活環境づくりと生き甲斐を求める環境づくりが不可欠な時代でもある。お金では買えないもの、本当に人間らしい生き方を求めている時代なのである。

 では、ラジオが新たな社会に役立つ分野はどこにあるのか。おそらくこの分野には、さまざまな視点があるだろうが、上述してきたように、時代が求めている分野に「安心安全の生活環境」とともに「生き甲斐のある生活環境」があり、良質な人間関係づくりによって心の喜びを得る。そうした環境を創り上げていくために、日本の昔から大切にしてきた“人と人との繋がり”を基本とした地域社会の再構築が急務になってきているのだ。ラジオがリスナーという一般生活者と非常に親しい間柄を構築できるメディアであり、この関係を別の形で表現するならば「信頼・規範・ネットワーク」で結ばれている存在であるということもいえる。ソーシャル・キャピタルの概念と重なった関係性を持っている。しかし、これまではラジオがマスメディアとしてその役割を果たしてきたが、他のメディアよりも一般生活者と近い距離にあるという特性を認識することだけで、この距離の近さ=信頼関係の強さを、社会的役割に生かすメディア活動へと結びつけることは少なかった。ラジオがマスメディアではなく、ミドルメディアという限定多数メディアへ変化している以上、新たなあるべき方向性をもっと明確に打ち出す必要が生まれている。ラジオのメディア特性を最も生かし、これまでより深いメディア活動によって影響力を構築していく対象として「コミュニティ」の存在は無視できない分野ではなかろうか。

参考資料
○「あたたかい地域社会を築くための指標」/荒川区自治総合研究所編(八千代出版) 
○ 国民生活審議会報告書「コミュニティ再興と市民活動の展開」(内閣府2005年) 
○「共同体の基礎理論」/山内節著(農文協