【第120話】デジタルラジオのかたち・私論 (その40)

 これからのラジオを考えるためには、これまでの社会の流れを把握する必要があり、前回までリスナーである生活者の立場からさまざまな社会現象に触れてみた。今回は社会生活のなかで日本人がいま最も必要かつ将来にわたって努力せねばならない分野、“幸福”への発想転換とそのため生活における人間関係、特に社会関係資本ソーシャル・キャピタル)の大切さに視点を絞り、ラジオが成熟社会のなかで果たせす社会的役割を探りたい。ラジオメディアが新たな社会おけるポジショニングと大きく関係してくるからである。


■ 成熟化した社会は我々日本人の絆を奪ってしまったか!
 前回までの成熟社会における負の現象、言い換えると、市場原理主義という経済政策の結果、経済成長との引き換えに多くの副作用が生まれてしまったことに触れたが、いま、社会のあらゆる分野で失われた大切なものを取り戻そうとする動きが生まれている。その大きな影響を与えたものが東日本大震災ではなかったろうか。国民一人一人が被災者に対して何らかの支援をしたい、という思いが起こったことである。これを機会に“絆”や“繋がり”という言葉が我々日常生活のなかに強く目覚めさせた。誰もが“絆”を強調し過ぎて少々食傷気味のところがあるが、我々日本人が伝統的に持ち続けてきた“思いやり精神”が甦ったかに見える。成長社会から成熟社会にかけて、我々日本人は“和”の精神を尊ぶよりも“個人の自由”を優先してきた。故郷を離れ、都会の自由を求めた。また都会生活で育った人々も煩わしい人間関係を控えて、個人の精神的自由を求めた。しかし、結果として人と人とが結びつきや信頼を寄せる繋がりがいつの間にか希薄化してしまったのだ。

 昨年ブータン国王ご夫妻が来日し大きな話題を撒いた。その清楚で凛々しいご夫妻の姿とお国のGNH(Gross National Happiess)国民総幸福量の政策が注目された。日本のような生活の豊かさはないが、誰にも負けない幸福をもっているというブータンの人々。我々は成熟社会という豊かさを手にしているにもかかわらず「幸福感」のない生活を送っている。どうしてなのだろかと日本人は疑問を抱いている現在である。最近本屋さんに行くと、さまざまな「幸福論」の書籍が並んでいる。豊かな社会といいながら、実は心の中は不安感いっぱいになのである。

 ブータンのGNH、国民総幸福量という考え方を取り入れた東京都荒川区は、基礎治自体の幸福、幸福度、幸福度指数を強く意識して区民の利点を極力生かすという自治政治に取り組んでいる。注目すべき政策だ。民放ラジオという地域メディアがこの国民総幸福量をどのように捉え、生かしていくのかという視点は結構大切な発想ではないだろか。国民総幸福というように“国民”が付くと大言壮語になり、具体的把握にあいまいになりがちである。ラジオ、特に民放ラジオは地域メディアである、地域エリアとしてこの視点を考える発想はないか、ここがポイントである。
 荒川区は、自治体の政策で取り入れているのに対し、ラジオと受け手である地域の人々が幸福度を高めていく具体的な方策やそうした積極的活動に支援していくような方法もあるのではないか。これを考えることがラジオの新たな社会的役割を果たしていく1つの分野にならないだろうか。GCH(Gross CountryHappiness)=地域総幸福量として地域コミュニティと連携した企画計画の実施といったことも考えられるであろう。幸福と一言でいっても広く深い。所有欲求で得られる実感は「豊かさ」であり、存在欲求から得られる実感が「幸福」だ、といわれる。生きていることの嬉しさを実感することが幸せなのである。これまでラジオが果たしてきた聴き手の本音と対話する力は、ラジオの得意とするところであり、ラジオの最も大きな特性といっていい。この特性を効果的に生かした方法で、GCHをバックアップする活動があるような気がしてならない。

 幸福度を世界的にみた場合、日本は非常に低いといわれる。さまざまな機関のデータがあるのでそれを参考にしてもらえばよいが、単に“低い”とだけ指摘しておこう。外国との比較よりも国内ではどうなっているのであろうか。幸福度指数という幸福を測る指数がある。また幸福に繋がるソーシャル・キャピタル社会関係資本)指数というものもある。そのデータを少々取り上げてみると、2011年4月から法政大学の幸福度指数研究会が指標をつくり、公表したところによると、都道路府県では上位ランクが福井県富山県、石川県、鳥取県佐賀県がベスト5位である。それとは逆に、低いランキングでは大阪府高知県兵庫県、埼玉県、北海道がワースト5位、千葉県・神奈川県33位、東京都38位、福岡県39位といった具合で、都道路府県のなかでは都会が非常に低くなっている。幸福度において、都会は低く、地方は高い、という傾向を読み取ることができる。

 一方、ソーシャル・キャピタル社会関係資本)という社会学で注目される分野では、こんな調査結果がある。総理府が発表している「平成19年度国民生活白書」には全国のソーシャル・キャピタル指数が載っている。都道府県の生活者にアンケート調査を行い、ソーシャル・キャピタルの基本である「つきあい・交流」「信頼」「社会参加」を指数化しこの3つを統合したもので、その表によると、高く表れているのは鳥取県島根県、宮崎県、佐賀県などの地方、指数の低いところは東京都と近郊3県、関西は大阪府奈良県など、そのほか高知県、福岡県などが続く。この2つの全く異なった指数を比べて見ても、都会と地方の差、人口集積地域と地方生活地域に大きな違いが生まれている。都会は刺激に満ち物の豊かな生活環境があるが、実感のある幸福が少ない。それに反して、都会人の捨てた故郷には実質の幸せ感や人の繋がりが健在であることを、上記指数は示しているようだ。

 いま日本人が求めているものは、生き甲斐のある生活、豊かな人間関係、それを通して幸せを実感する生活環境ではなかろうか。無縁社会格差社会、犯罪の多い社会などと決別した社会である。ソーシャル・キャピタル社会関係資本)といわれる分野はそうした人間らしい生活を営むための視点から生まれている。これまでの社会資本という公共的施設(電気・ガス・水道・道路といったインフラ設備など)を充実させることにあったが、これからは人間関係の繋がりを基に、人と人との信頼や規範を重視する社会、人の活動を社会的資本とみる政策が重要な役割を果たすのである。総幸福度を高める政策も信頼・規範・ネットワークを核としたソーシャル・キャピタルも、共通するのは実感のある生活であり、人間の幸福をもたらす環境づくりではないだろうか。新しい時代のラジオが社会的役割を果たす分野として、こうした政策や活動に注目していかねばならないような気がする。(了)