【第119話】デジタルラジオのかたち・私論 (その39)

 この10年、我々庶民は格差社会無縁社会などという人間らしい血の通った社会状況とは縁遠い環境に取り巻かれ、閉塞気味な気分のなかにいる。前回は高度成長経済の結果として負の現象が社会のあらゆる面に現れている状況に触れてきたが、そうした社会環境がどうして生まれてきているのか、その背景にはどんな考え方があるのかを探り、これからのラジオが向かうべき方向性の要因を見つけ出したい。


■ 1990年以降と成熟社会の背景にあるもの

 現在我々は第2次大戦以降70年近い歳月を重ねている。明治(1868年)以降70年といえば第2次大戦のちょっと前あたり、明治、大正、昭和前半という3つの時代にわたっている。そして戦後から現在までの70年も同じ期間で、昭和後半と平成の時代である。戦後という言葉は実感に乏しい歴史的表現になってしまったが、この戦後70年近い期間を大きく2つに分けるなら、戦後の復興を終え、欧米に追い付け追い越せの掛け声のもとに経済成長を遂げ、近代工業社会を実現した1980年代まで、これが前半である。1990年以降バブルの崩壊を経験し、長期的な不況(失われた10年)を過ごし、社会の多くに不安定な状況を抱えながらも、ある豊かさを享受し、成熟社会を迎えている現在までが後半の区分である。ラジオを考える我々にとって最も大事なことは現在そしてこれからであるが、これからの社会を考えていく上で、上記後半の20年間の政治や経済を動かしてきた考え方を知っておくことも重要である。なぜなら、成熟社会を迎えている我々にとってどんな思想が最もふさわしく、そのふさわしい考えに沿った政策がこれからの社会環境を変えていき、強いてはこれからのラジオを考える基本的な社会背景になるからである。

 さて、1980年代までの日本は近代工業社会を完成させ「豊かさ」を手にした。「一億総中流」などと呼ばれるほど国民の多くが中流意識を持ち、社会生活を送ることができた時代である。振り返ってみると、確かにラジオ番組の制作面も営業面でも余裕のある環境のなかで羽ばたいていたような記憶がする。しかし1990年に株式が、1992年に土地価格が急落し巨額の損失を発生させた。バブルの崩壊である。証券会社や大手銀行の倒産、あるいは多くの企業が不良債権を抱えた結果、経営に大きな支障を来し倒産する企業も続出した。経済は大きく停滞し不況の大波が押し寄せる。1991年からの10年間いわゆる「失われた10年」である。この時期から政治、経済、社会、すべての分野にわたって停滞状況が続く「平成大不況」を過ごすことになる。

 この10年間、私たちはさまざまなことを考えさせられたが、特にお金=金融(通貨)というものが安定した社会を維持するためにはどのようにあったらいいのか、という命題、あるいはお金を追い求めた結果、お金に換えて判断する習慣、損得勘定で物事を考えてしまう風潮など、社会的にも、個人的にも生活を営む上で意思決定に大きな影響させるテーマであった。この「失われた10年」に関してはさまざまな文献があるので詳しくはそちらの方を参考にしてほしいが、この10年の停滞がその後の10年に生まれるさまざまな政治経済の上でも社会的にも歪を生み出す背景となったことを知っておく必要がある。

 90年代の長期不況は日本の多くの体制や国民一人ひとりが模索し、困窮した時代であったが、その社会状況をある形で変革しようと挑んだ政治家がいた。2002年に登場した小泉政権構造改革である。新自由主義経済の考え方を基礎に「小さな政府」を目指し、経済活性化を市場原理にゆだねる政策、「市場にできることは市場に」「官から民へ」「国から地方へ」など、改革の柱として進められた。当時を記憶されている方も多いと思うが、「聖域なき改革」「骨太の方針」など強力に推した小泉総理と竹中大臣の顔が思い浮ぶ。この政策は経済の低迷に終止符を打ち、6年間の低成長ではあるが景気回復を果たし「いざなみ景気」と呼ばれた。しかし、この景気回復は外需先導による要因が強く、我々一般庶民にとっては実感の乏しい回復でもあった。しかし海外からは評価の高い政策だったとされている。この構造改革にはアメリカやイギリスでかつて推進された思想があり、その背景にある考え方を知っておくことがその後に現れるさまざまな副作用の本質を理解できる。

 小泉政権構造改革の成果については、現在も専門家による議論があるようだが、これからの社会を考える上で避けて通れない幾つかの課題を残している。それは構造改革の考え方が上述した新自由主義ネオリベラリズム)をベースにしている市場原理主義といわれている考え方である。経済活動における「市場」を最も重視し、自由な競争によって経済全体に活力を取り戻していくという思想である。詳しくは専門書に譲るとして、構造改革は確かに多くの改革を実現し景気回復に結び付き、失業率や企業倒産件数の減少など停滞していた諸現象を回復に繋がっていった。しかしその反面、多くの副作用を生み出したことも事実である。所得格差、非正規雇用生活保護世帯などの拡大や増大など、また公的医療・教育の荒廃・失業率の高まり、勝ち組負け組の顕在化など多くの歪が表出し、社会問題となっている。こうした社会環境が個人個人の生活に不安定化をもたらす。市場の自由な競争による活性化はこうした副作用とともに、日常生活に「リスク化」を生み出しているのが現在の社会であろう。

 この「リスク化」とともにもう一つの特色は社会の「二極化」であろう。かつては「一億中流」などといわれた高度成長社会には生まれなかった格差社会が広がっている。たとえば、企業では当たり前になっている業務評価制度だ。市場の競争に勝つために有能な社員と無能な社員を判断し、賃金格差やリストラを行う。非正規社員の採用し雇用調整を行うなど当たり前になっている。その結果職場では勝ち組負け組という格差が生まれる。また就職のできない人たちの増加やフリーターで生活せねばならない人、高学歴専業主婦の育児ノイローゼ児童虐待など、問題化している事象は事欠かない。福祉の分野も教育の分野にも格差が広がっている。市場競争にゆだねる経済政策によって生み出された現象、それはリスク化と二極化という社会現象であり、高い経済成長の望めない成熟社会では、覚悟せねばならない社会現象でもあるが、このマイナス面をどのように改善していくのかがこれからの政治や経済の大きなテーマでなる。

 専門家の間では、マイナスの社会現象を改善する考えとして「共生経済」という発想や「市場にゆだねる経済」を維持しつつ社会的セーフティネットを充実させる政策、あるいは市場主義改革と同時に平等な福祉社会をつくる「第3の改革」を平行して実施する考え方などいろいろ提案されている。素人にはなかなか分かりにくいが、社会が活性化し現れてしまった副作用をできるだけ早く正していかないと本来の成熟社会は到来しないのである。
 当ブログでテーマとしているのは、ラジオがこれからの社会に果たしていく役割として、どこに焦点を当てたらよいかという視点であるが、この社会生活のなかで副作用の結果生じてしまった「生活の不安定感」や「閉塞感」といったマイナス要因が、強いては人と人との繋がりや絆を希薄化させている。また日頃の生活周辺にある「コミュニティ」、人間関係を創り出す役割、地域文化の世代的継続といったコミュニティへの参加が不活発化になっているのも現実である。こうした問題に今後我々はどのように取り組んでいけばいいのかという課題。決して小さい課題ではない。ラジオはこうした成熟社会に登場した負の現象にどう取り組んでいけばいいのか、我々にとっても大きな関心事になる分野である。(了)

参考資料
・「この国の未来へ」佐和隆光著/ちくま新書・「新自由主義復権」矢代尚弘著/中公新書・「悪魔のサイクル」内藤克人著/文芸春秋・「第三の敗戦」堺屋太一著/講談社・「成熟日本への進路」波頭亮著/ちくま新書ほか