【第115話】デジタルラジオのかたち (その35)

■ 民放ラジオに経営転換を迫る環境が進行する

 営業収益が減少の一途を歩んでいる民放ラジオ、広告料を経営資源としてきた民放ラジオは、これからどのような経営の舵取りをしたらよいのだろうか。経営資源である広告料の新たな獲得方法を考えて行くのか、現状の上に新たな収入源を求めるのか、それとも全く新しい経営形態を構築するのか、あるいは衰退への坂道に甘んじるのか、大きな岐路に立たされている。どちらにしても、民放ラジオの辿る道は容易ではない。このラジオの立つ岐路はどうして起こっているのか、民放ラジオというメディアの持つ経営基盤やメディア特性に、この問題は大きく関わっているので、ラジオ全体から現状を探ってみたい。そのための視点を具体的に列挙すると・・・
〈1〉全国ラジオ局営業収益の衰退とその意味
〈2〉全国的に進むリスナーのラジオ離れ現象
〈3〉ラジオメディアとネットメディアの相関関係
〈4〉ミドルメディアとラジオ事業の方向性
〈5〉ラジオ事業の視点から考えるラジオ番組
〈6〉新たな事業形態の模索とラジオの行方
 上記の視点を探るには、これまでラジオが依存していた経営資源や有効に機能していた特性が機能しなくなった現状をもう一度明確に把握し、民放ラジオの抱える問題課題を考えてみることが最も近道であろう。


〈1〉全国ラジオ局営業収益の衰退とその意味

 ラジオ収益は減少し今後の経営維持に大きな課題を抱えている現状を、前回のブログでは数字をもって指摘したが、今回は民放ラジオの放送事業が持っている基本的な課題点をここで検討する。民間ラジオは60年前、アメリカの放送事業を参考にして「広告収入」により事業が成り立つ形態を採用してきたことはすでに触れたとおりであるが、20世紀後半の日本において、広告宣伝という手段が資本主義下の経済活動に大きな役割を果たしたことは確かで、その主役を務めたのがマスメディアであり、ラジオもその一角を担っていた。しかし21世紀に入り、経済成長を遂げた結果、豊かさを手にした生活者=消費者の消費欲求は多様化を生み、不特定多数をメディア特性としてきたマスメディアが対応仕切れなくなってきた。それは広告宣伝の分野も表裏一体の関係であり、マスという概念で消費者を捉え切れなくなったのである。そこに登場したのが小回りのきくインターネットであった。ネットで展開されるソーシャルメディアがいまやマスメディアの行き詰まりを打開する現象が起きている。こうした時の流れがラジオをマスメディアの地位から引きずり降ろし、限定的なメディアへと変化させている。

 なぜラジオがこのインターネットの波に飲み込まれる結果になったのか。ラジオという半世紀以上積み重ねてきた確固とした地位が、なぜ揺らぐことになったのか、これからのラジオの考えていく上で、この疑問を解決しなければ一歩も先へ進まないのである。ラジオの事業形態は、いうまでもなく「広告宣伝費」という企業の持つ資金を経営資源に依存してきた。番組やスポットの提供スポンサーから得る放送料金だ。経営資源をこの1点に集約して営んできたが故のマイナス点、一方“音声のみ”というメディア特性が創り上げられ、そのマーケットを広告宣伝に結び付けて経営資源としてきたが、インターネットの登場と普及により、“音声のみ”というラジオ最大の特性が不利なメディア特性=負の遺産として働くようになってきていることである。

 ラジオはパーソナルなメディアである。自宅でも、クルマの中でも、移動中でもひとりで聴くことが多い。そこにはパーソナリティとの会話や報道情報、ラジオドラマなど“音声による言葉”が無限に広がる世界がある。しかし、現代は視覚情報や視覚コンテンツに溢れ、それらに簡単に接触できる環境が生まれている。パソコン、ケイタイ、PDAなどの普及はいつでもどこでも情報収集が可能な環境を作っている。しかも視聴覚を使った接触だ。この簡単に接触可能な環境は、ラジオに限らずCD音楽や活字メディアである新聞雑誌など、既存のメディアに大きな影響を与えている。この大きな流れは、角度を変えてみると、人間の求め続ける利便性とそれを追求する技術が密接に関係し合っている。

 人間の欲求は、限りなくリアルに近い世界を求めていく。そこには利便性や有効性といったリアルに役立つものを要求し続ける。デジタル技術の発明と発展はその象徴といっていいであろう。21世紀初頭の現在はその利便性はすべての分野に及んでいる。情報分野では、デジタル技術が視覚と聴覚に訴える情報を伝達し、時間と空間を限りなく埋める時代に入っている。そして、いつでもどこでも情報がキャッチできる時代へと突き進んでいる。この視点からみると、ラジオという視覚情報を持たない“音声のみ”という特性が、いまや限りなく不利に作用していることは確かである。

 ラジオ営業収益の衰退は、ラジオ特性がこの大きな時代の流れに沿わなくなったため、これまでラジオに提供していた企業が、その宣伝費をインターネットへシフト替えしてしまったのである。もっとはっきりいえば、ケイタイやPDA、パソコンなど持ち運ぶ時代にわざわざラジオ受信機を携帯して聴くという習慣がなくなってしまった。そのラジオからスポンサーが離れているのは、また当然の成り行きであろう。いま若者の間で、ラジオという言葉すら知らない人種が現れているしまつだ。では、ラジオはケイタイやPDA、パソコンで聴けるようになれば“音声のみ”という特性が有効性に働くようになるのか、というとそうもいえない。

 ラジオのインーネット進出は変化の時代に即応した方法ではあるが、それだけでは影響力回復への道は開けない。その課題点は(1)ラジオがインーネットという新たなツールでリスナー・マーケットを構築せねばならないこと、しかしツールが変わればマーケットが変わるという世の習いからいえば、インーネットでラジオを聴く新たな聴取習慣を創り上げねばならず、その構築には長い時間がかかる。それに加えてより重要なことは、(2)負の遺産となった“音声のみ”というメディア特性をいかにして脱出するか、そのための新たな表現手段をどのように開発したらよいかが求められる。ここでいう“音声のみ”からの脱出という意味は、“音声”を捨てよという意味ではなく、“音声のみ”という負の部分を補完する視覚情報をどのように構築し、有効化するか、ということである。

 その意味では、ラジオがネット配信、いやネット放送となった現在、ラジオはデジタル化したと受け止めていいのではないか。受け手にとってみれば、ケイタイであれPDAであれ、ラジオを聴くのもテレビをみるのも同じ端末から接触するのだから・・・。そしてラジオはネットによる新たな視覚に訴える表現手段の可能性を持つことになる。民放ラジオの経営は、すでに社会システム化しているデジタル情報基盤の上に立った新たなマーケットを創りと経営資源の再構築が求められている。言い換えれば、ラジオ経営は新たな創業の時代に突入しているのである。(了)