【第114話】デジタルラジオのかたち・私論 (その34)

 これまでは、ラジオの方向性として「見えるリスナー」の具体的な確保が重要であり、そのリスナーとどのように双方向のコミュニケーションを構築していくか、というテーマをさまざまな角度から探ってきた。それはマスメディアでなくなったラジオがミドルメディアとしてどのように活路を見い出していくのか、というテーマでもあった。これからは数回にわたって、放送事業という経営面からラジオのあり方を考えてみたい。新しい時代のラジオが活躍できる姿を探ろうという試みである。


■ 今後のラジオはどのような事業形態になるのであろうか!

 現在のラジオ事業は、全国的にみて衰退の方向にあるといっていい。その現象は、営業収益の年毎の減少、リスナーのラジオ離れ、平均のラジオ接触時間の減少などに現れている。特に若者のラジオ離れは甚だしく、ラジオという言葉すら知らない人が生まれている。この状況に危機感を感じた民放ラジオとNHKは、昨年秋共同のキャンペーンを張った。渋谷という若者街を舞台に放送とイベントを展開し、両陣営が全国放送するという内容だ。イベント自体反響を呼んだようだが、今年は全国各ラジオ局が子供たちとラジオの繋がりを、独自企画で展開し、努力を続けている。

 さて、ラジオの実際の営業収益がどのように推移しているのか、全国民間ラジオ局の統計でその推移をみておこう。ラジオの経営の柱である企業の広告出稿が年々減少し、赤字経営のラジオが多いのだ。民放連の資料によると、全国ラジオ局の営業収益は20年間で半減し、特にこの10年間でも4割減と著しく減少している。以下記載する数字は放送収益のみに限定している。1991年〔2870億円〕、この年がラジオ全体の最も高い営業収益であった。この年を100%とすると、この2000年は以下のようである。  
 2000年は〔2512億円/88%〕、2年置きに記すと2002年〔2189億円/76%〕、2004年〔2131億円/74%〕、2006年〔1987億円/69%〕、2008年〔1722億円/60%〕、 そして2010年〔1469億円/51%〕という数字である。この20年では前半10年が1割減、それに対して後半の10年間では58%で4割も減少、併せて51%、半分となっている。

 年間3000億円に近い最盛期と比較すると見る影もない。2011年の数字はまだ出ていないが、さらに減少しているに違いない。この数字はラジオ局全体の放送収入で、イベント収入や出版事業など他に手掛けている事業売上(営業外収益)は入っていない。本業がこれほど衰退している数字をみていると、ラジオの行く末が本当に心配である。今後を考えると、東阪名九の大都会は人口が多くマーケットがあるので、規模は縮小しても生き残れるとは思うが、ローカルのラジオ局は困難が予想される。因みに民放ラジオ局の経営形態をみると、AMラジオ局はテレビとの兼営局が35局、単営局が12局で、大方が兼営局である。他方FM局は53局すべて単営局である。(コミュニティ放送局を除く。)こうしてみると兼営ラジオ局はテレビ事業に寄りかかっている経営であり、単営局ではいかに難しい環境にあるかがわかろうというものだ。

 ところで、民間放送であるラジオ事業の歩みに多少触れておきたい。広告収入という事業の柱が成り立っていった過程を理解するためである。民放ラジオの形態は、60年ほど前に先行していたNHKラジオを追い、戦後電波三法が法制化され(その後二法になる)、新たに民間放送としてのラジオ事業に基盤ができた。戦後アメリカによる占領政策もあり、ラジオ事業のモデルはアメリカの民間放送にあった。NHKが視聴料という視聴者から拠出される資金によって運営されるのに対し、民間ラジオ局は企業の出稿による広告料が経営資源である。この仕組みはテレビにも採用され、ラジオとテレビそして広告料と購読料を併用した新聞や雑誌とともに、4つのマスメディアとして成長していくのである。

 4大マスメディアが成立した背景には、戦後の経済復興と経済成長の枠組みの中で大きく成長し定着し、日本国民に大きな影響力を発揮するようになった。マスメディアという情報伝達機関が国政を動かす世論づくりに役割を果たすと共に、経営面でもマス化していき約半世紀の間続くのである。マスメディアの黄金時代と言っていいかも知れない。その後時代はバブル崩壊を迎え、そして失われた10年と言われた時代を経た。その間生活用品や通信手段のデジタル化が進行し、ブロードバンドによるデジタル情報社会の基盤ができあがり各家庭に普及していった。このインフラの構築はパソコン普及、ケイタイの普及へと繋がり、新たな情報時代を迎えるのであるが、これまでのマスメディアは、情報化時代の寵児であるインーネットに対してやや控えまな態度をとり続け、放送と通信の融合に乗り遅れた感がある。雑誌や出版など活字メディア、各種ラジオは混迷時代に突入する一方、大手の新聞、テレビのマスメディアにも影響が出始める時代を迎えている。

 この4大マスメディアが登場し影響力を発揮できた要因には、戦後の大衆社会の成立と大量消費社会の出現がある。大衆の求める商品を情報としてメディアで伝達し、それが消費される社会ができ上がる。広告メディアの成立であり、広告業界が隆盛となた事にも触れておく必要がある。大衆と言われた消費者は多様化(差別化)を求め、広告にはセグメント広告が広まっていく。そのニーズに応えていったのがインーネットである。セグメントに対応した広告が求められる時代に入ったのだ。ラジオがインターネットに広告売上を追い越されたのは、2004年、雑誌は2007年、そしてついに新聞が2009年である。残されている4大メディアはテレビのみである。広告に経営資源を置いてきたマスメディアは大きな転換期を迎える時代に入ったのである。

 ラジオの営業収益の半減は、ラジオ事業にのっぴきならない事態であるが、収益減少の背景にある問題は非常に大きく深いものがあり、この問題点を解決しなければラジオサバイバルには繋がらない。ラジオは消滅するのか、それとも再興するのか。本当に考えなければならない時代に入っている。そこで、この再興するために現在抱えている問題点、ラジオが時代の大きな流れのなかで新たな立脚するための経営課題どこにあるのか。この課題を解決して行かねば、ラジオという特色があり伝統あるメディアが失われかねないのである。次回からこうした問題点課題点を1つずつ掘り下げて、私論ながら論じてみたい。(了)