【第110話】デジタルラジオのかたち・私論 (その30)

■ ラジオメディアは「コミュニティ」に注目しよう

 前回からラジオとネットの関係を考えようと、ラジオとネットの背景にある現代社会の潮流を探っている。前回は1980年代前後に経験した「高度経済成長による豊かさの追求」、言い換えると、数字に換算できる幸せの追求をしてきた時代に対して、21世紀は数字に換算できない幸せを追い求める時代へと転換しているという現実を、具体的事例をもって説明したが、今回は現代が“幸せの総量”の追求する時代であり、その目的を追い求めるためには我々自身の身近な生活集団である“コミュニティ”について触れてみたい。ラジオメディアが新たな時代に社会的文化的役割を果たしていく対象としてこの分野はもっとも重要と思えるので、さまざまな角度から考えてみよう。

 これまでマスメディアとしてラジオを捉えていた人には、なぜ“コミュニティ”なんだ。という疑問が浮かぶかもしれない。豊かさの追求がモノの獲得ではなく、幸せの獲得という時代の流れは分かっても、なぜ“コミュニティ”なのか。この点をしっかりと把握しておきたいと思う。当ブログ第102回で、ラジオメディアが注目すべき分野として「ソーシャル・キャピタル」の重要性を取り上げたことがある。覚えておられるだろうか。日本では「人間関係資本」とも訳されているが、社会生活において「信頼」と「規範」と「ネットワーク」を基本として人と人とが結びついていき、その集団が社会の課題に取り組んでいき、社会を豊かにできることが、社会資本として大切である、という視点である。この人と人との結びつきこそ“コミュニティ”である。

 コミュニティの概念について、内閣府の国民生活審議会調査部会で記しているのが分かり易い。「市民としての自主性と責任を自覚した個人及び家庭を構成体として地域性と各種の共通目標を持った開放的でしかも構成員相互に信頼感のある集団」としている。コミュニティの定義はさまざまで、ある学者が調べたところ94もの定義があったというから、それだけ様々な角度から捉えれる対象なのであろう。これらの定義の共通するものに「協同性」「地域性」「繋がり性」があるという。日常生活でのコミュニティは家族であり、学校であり、地域における自治会や町内会などであるが、現代社会の複雑化に伴い、こうした身近なコミュニティと、さまざまな社会と係わるコミュニティとが混在し、しかもそのコミュニティの持つ性格が変容しつつあると研究者は指摘している。

 日本が経済大国になってきた過程を振り返ると、地方から都市へ人々がこぞって移り住んだ時代でもある。守屋浩の「僕はないちっち」などに代表されるように、歌謡曲で故郷から都会へ去ってしまった悲恋歌のヒット曲が何と多かったか、その象徴であろう。そして都会生活は、勤める会社の営業利益が増大する度に給料が上がり、個人の生活も向上していき、家庭、会社、国家までGNPの拡大が平和をもたらしてくれるものと信じた時代である。そうした都会の環境は生活の喜怒哀楽を支えてくれていたかつての“コミュニティ”の存在をすっかり忘れていた時代でもある。

よく失われた10年、最近は20年ともいわれているが、その間に人と人との暖かい繋がりが失われていき、寂しい生活者となっていた。その結果、無縁社会という言葉に象徴されるように、毎年3万人の自殺者、被雇用者の増加と孤独化、家庭では離婚率の増加や児童虐待の多発、こうした現象は上げるに暇がない。毎日のニュースを見ていると、暖かい人間関係を尊重してきた人々とっては信じられない事件ばかりである。一方人間関係でみると、隣近所の人と出会っても黙って通り過ぎてしまうことや電車などで席を譲り合うといった行動が非常に少ない。駅や街角で手や肩が触れ合っても渋い顔をするか軽く会釈する程度、相手との会話はない。時には睨み付けられることもある。都会の人は何と冷たいのか、と思う人が多いに違いない。そう思いながらそうしてしまう自分の態度を反省してしまう人もいる。いまの社会にそんな冷たい人間関係が満ちているのだ。

 各国における社会的孤立の状況を国際比較した調査がある(OECD資料2005年)。家族以外と交流や繋がりを調べたもので、それによると先進国のなかで日本人の孤立度が最も高い数値を示している。同じ先進国のアメリカやイギリス、フランスなどヨーロッパ各国は低い数値である。先に触れたが、社会における人間関係を社会資本とみる「ソーシャル・キャピタル」(SC)の都道府県別指数をみると、東京都、大阪府、愛知県とその隣接する県といった都会地域が低く、島根県鳥取県、宮崎県といった地方の県が高い結果になっている(内閣府調査2003年)。SCは信頼・規範・ネットワークをキーワードとする繋がりの関係をいう。高ければ高いほどその地域での社会生活が豊かになる環境を保有していることになる。こうした数字をみると、日本人の孤独感は都会になればなるほど高まっていく傾向にあるようだ。

 我々が生活しているいまの社会では、人と人との繋がりである“コミュニティ”のあり方が改めて問われているのではないだろうか。現在は「幸せの総量」を求める社会になっているにもかかわらず、幸せを創り出す新たな人の繋がり方、新たなコミュニティの創り方が見つかっていないのかもしれない。こうした現状が顕在化しているのに、冷たい人間関係にメスを入れる社会政策はみられない。本来はこの問題こそしっかりと向き合う政治があってしかるべきだ。日常一人ひとりの生活態度こそ国全体の風土を創出していくもので、世界から期待される日本人のあり様を決めていくものであると思う。次回は、新たな時代の“コミュニティ”のあり方を探りながら、“コミュニティ”に対するラジオメディア役割を考えてみたい。(了)