【第106話】デジタルラジオのかたち・私論 (その26)

〈 メッセージ 〉 ブログ冒頭に、ラジオ界の「トピックス」を記載していたが、ラジオ界の動きが急のため、できるだけ注目されるトピックスを早く紹介したいと思い、新たにブログを設けることにした。ラジオ・キュレーターとして有意義なトピックスを取り上げたい。関心ある方はこちらのブログをクリックしてください。        ttp://d.hatena.ne.jp/radio123/


■ 【道標2】生活者の趣向ニーズに沿った他局化と多様な番組編成の実現 
 これまでは【道標1】として、混迷の時代を生き抜くラジオの姿を求めて“ラジオビジョン”ともいうべき考え方を10回にわたって綴ってきた。今回からはラジオ・リスナーがどんなラジオ番組を求めているのか、どんな番組編成がこれまでのリスナーを取り戻し、新たな展開を期待できるか。受け手の立場からラジオメディアに求められる姿をレポートしつつ、これからのラジオ編成の戦略について考えてみたい。ラジオ局の多様な番組編成を考えていくには、どうしても現在置かれている状況を把握しておかねばならないが、これについては当ブログで何度も触れてきたので、読者には記憶に新しいことだろう。ラジオ衰退の原因は、収益減とリスナーの減少というメディアにおける基本的現象である。その原因について様々なことがいわれているが、ラジオ界は新たな戦略を生み出すには至っていない。このラジオ衰退については、当ブログ第91話を参照されたい。

 ここでは受け手である一般市民生活者の社会的ニーズが大きく変化している点を指摘して、ラジオ番組編成の多様化が求められる背景を少々触れることにする。日本の社会は成熟社会といわれる。この10年、低成長のなかでそれぞれの分野が成熟期を迎える一方、社会の負の遺産ともいえる諸現象も起こってきている。成熟社会は各社会で進行し、価値観の多様化をもたらしている。アメリカの心理学者A・マズローの「欲求五段階説」ではないが、人間の欲求が高度になれば「自己実現」を求める傾向が増すという。よくこの理論が説明に使われるが、日本人の多くが生活にゆとりを持てるようになり、社会活動に、文化活動に自分の価値観に基づいて行動する人が多くなっていることは確かである。

たとえば、写真1つとっても一眼レフカメラの普及は大変な勢いで、カメラ教室、撮影会、テレビ教養講座など盛況だ。撮影はプロに任せるのではなく、自ら接してより高いレベルを求め、創作していく姿勢である。音楽も同様だ。観賞するだけではなく自ら音楽を演奏する人々が増えている。美術の世界、陶芸の世界、皆同様な傾向にある。かつての芸術の分野はプロに任せてファンは観賞すればよいという時代から、自ら一歩近づいて文化的創造を楽しみ、観賞だけでは味わい得ない感性を求めている。その意味では文化への造詣が深まっているともいえる。

 こうした生活者の価値観の多様化と行動は、メディアであるラジオにも大きな影響を与えている。そこで大切なのは、先に触れたインターネットとの融合を図りつつ、新たな番組づくりに挑んでいるだろうか、という疑問。この点には大いに検討の余地がある。ラジオ離れが進んできたからである。若者がラジオを聴かなくなった理由は、ラジオでなければならない番組や番組編成がなくなったからである。たとえば、FM放送で音楽を聴いていた若者は、デジタル形態端末(ipodやデジタルウォークマン、最近はスマートフォン)で好きな音楽を聴き、FM放送は聴かない。AM放送もしかりである。カーラジオで野球中継は聴いてもその他の番組にはあまり接触しない。ミドル層からシルバー層までラジオ聴衆は減少、ビデオリサーチの調査が示している通り、セット・イン・ユースが減少しているのである。要はラジオが受け手の多様化ニーズに応えられないでいるのが現状ではないだろうか。

 成熟社会の多様化に応えるラジオとはどんな形をイメージしたらよいか。これには様々な考え方があるであろうが、考えるきっかけとして1つの発想を示してみよう。この春施行された新放送法では、ラジオとテレビの基準を分離して、ラジオは4局までラジオ局所有が可能となっている。これまでできなかったラジオ局は1波の放送という制限がなくなった。これはラジオの多様化を考える面で非常に重要だ。これを適用したと仮定して発想すると、次のような方法が考えられる。音楽を軸として放送ならば、a)音楽と情報をメインとしが現状のリフレッシュ型、b)ロックポップを中心とした局、c)ジャズ&イージー中心の局、d)クラシックを中心とした局など、音楽ジャーナリズムやエンターテイメントに軸足を置く4チャンネル編成のラジオ局が考えられる。

 またこんなチャンネル編成はどうだろう。a)ニュース専門局、b)スポーツ専門局、c)カルチャー専門局(映画・芝居・絵画・小説など)、d)医療&ヘルス局など、それぞれの分野にファンの多い分野を専門的に取り上げる局。1つの放送局がある分野に絞り込んで番組編成するチャンネルを複数もつ事業形態は考えられないだろうか。現在のラジオ局は、国の政策で60年の間、1波1局のラジオとして臨んできているので、免許される周波数の問題や経営的課題を超えて一気にこうしたラジオ局が可能であるとは限らない。あり得るとすれば現状のアナログラジオの買収や合併による方法、あるいは、これから登場してくるマルチメディア放送の他チャンネル化において可能になるかも知れないが、当面は難しいところだ。

 こうした考え方は、アメリカのラジオを参考にするまでもなく、価値観の多様化に即した日本のラジオ・リスナーの要求に応える方法として、マス・マーケットを求めるのではなく、ミドル・マーケットを自ら構築していく方向性が発想のもとになっている。こうした限定ターゲットにおける番組編成の絞り込み、いい方を変えれば、それぞれの分野のリスナー・ニーズに応えつつ、インターネットとの連動性を高めた番組づくり(コンテンツづくり)に臨むことが何よりも重要な気がする。

もう1つ、ラジオというメディア側からみると、ネット社会における情報過多の時代に、ラジオが価値ある情報を選別し付加価値を付けてリスナーに届けるという「キュレーター」としての役割が重要になる。近著「キュレーションの時代」(ちくま新書)で佐々木俊尚氏が指摘しているが、情報の氾濫するネット社会ではキュレーターの役割が重要になってきているという。因みにキュレーション(curation)とは、当書によると「無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。」とある。

 価値観の多様化した社会のなかでラジオが再生していくには、これまでのマスメディアではなく、ミドルメディアとして限られたリスナーを確実に確保し、そして交流するメディア、そしてそのリスナーが求める各種情報やテンターテイメントを提供し、ネット社会におけるキュレーションとしての役割を明確にしたいものである。ネット社会としっかり融合を果たしていくことこそ重要な道ではなかろうか。(了)