【第102話】 閑話休題 〈東北被災地視察レポート〉

 今回は東日本大災害地の東北を中心に見聞してきたので、少々レポートしたい。現在「デジタルラジオのかたち・私論」として〈ラジオのビジョン〉を綴っているが、今回は閑話休題として次回以降に譲りたい。

東日本大震災:現地レポート》を少々

■ 被災地に立ってこそ、肌で大災害を知る! 

 東北・関東を襲った稀に見る大災害は、テレビ、新聞、ネットが被害状況を詳しく伝えている。しかし、我々はバーチャルな捉え方でしかないことを、これほど被災地に立って感じたことはない。見渡す限り瓦礫が散乱し、残ったビルは4階までドア、窓がぶち抜きになっている。立っている足元から20mも30mも高い津波がこの頭上を通り過ぎ、すべてを奪い去っていった、その波の高さと惨状の実感は現地の状況と空気と匂いに触れてみないと分からない。多くの命を奪い、一人ひとりの平和をもぎ取ってしまった。宗教学者山折哲雄氏の「こんどの惨害が引きおこした大量死と自然の猛威を前にしては、ただ首(こうべ)を垂れるほかはない」という言葉を肌で、胸で、実感するのである。(引用はサンデー毎日緊急増刊「東日本大震災?」の記事より)。

 コミュニティ放送局〈FM戸塚〉(2009年4月開局)は東日本大震災義援金募集活動を発災の2日後から実施し、2ヶ月間で1,400万円を記録した。恐らくこの数字は、コミュニティ放送界では群を抜いている記録ではないか。まだその数は増加している。局スタッフの努力と戸塚区民の支援の大きさが分かる。FM戸塚ではこの区民からの好意に対する責任と義援金の提供方法を探るため、被災地を視察することになった。私は当放送局に協力している関係からこの視察の一行に加えてもらい、5月6日より3日間、東北海岸を縦走する約400kmの視察に参加した。以下はそのレポートである。

 一行は岩手県宮古市から福島県南相馬市までの海岸線を車で南下し、三陸海岸の港町、仙台・福島沿岸の穀倉地帯、福島原発30km地点を視察した。今回被災した各地域を併せると、阪神淡路大震災の4倍〜5倍になるのではないかといわれている。海岸線を車で走ると、どこまでも瓦礫一色で、消失した街や漁村が続く。仙台・福島の海岸穀倉地帯は、海から4キロ〜5キロも内陸へ津波が遡り、広大な田畑が壊滅状態になっている。春の穀物を植えるための準備であったのだろう、農家の作業車があちらこちらの畑に、縦に、横に、斜めに傾いたむなしい姿になっている。ところどころ漁船が転覆している。こんな広い農地に海の主が流されるとは・・・手の付けようのない惨状に放心する農家の人々の気持ちが伝わってくる。東北の農産物を担っている主役の人々である。

 相馬市、南相馬の被害も大きいが、原発事故で被害を被っている南相馬から飯館村を訪ねた。特に飯館村は降って湧いた人災にいま苦渋の判断を迫られている。飯舘村は、阿武隈山系北部の高原に開けた豊かな自然に恵まれた美しい村である。高原地帯独特の自然が息づいている集落だ。ここは福島原発より40〜50キロ離れているが、風向きのお陰で放射能が高く、いま計画退避を余儀なくされている。視察スタッフが持参した放射能測定器で図ってみる。測定値は全国的に約0.03〜5ミリシーベルトの範囲が普通だが、今回の事故で関東地方はそれより高い時もあるが、相馬市、南相馬市あたりでは少々高く3〜5ミリシーベルトを示していた。飯舘村では高原地帯のせいもあってか、それ以上の数値を示していた。やはり高いことを示していた。

 飯舘村は初夏の軽井沢の高原を思わせるような冷涼な気候で、村民の積極的な活動が評判なところである。今回の災難は晴天の霹靂に違いない。いやこれは人災だけに許しようのない村民の気持ちが伝わってくる。初夏の日差しが燦々と降り注いでいるこの村の入り口に「いいだてにようこそ!」という看板があった。人っ子一人いない光景は何とも寂しい限りである。道沿いにある農家で高齢の夫人がひとり黙々と掃除していた。忘れられない光景である。


■ 災害地のコミュニティ放送局と臨時災害FM放送局の活躍

 東日本大震災ではラジオが大活躍している。阪神淡路大震災中越の2つの地震でも、各報道機関による調査が被災者の情報源がラジオであることを示しているが、今回もラジオの活躍が一際目立つ。NHKの被災地の調査結果では、災害情報の情報源はテレビ10%に対して、ラジオは39%という数値が出ている(番組「NHKスペシャル」5月7日放送)。発災後、東北にある県域ラジオ局は3日から6日間、24時間災害放送を行い、通常放送に戻っても震災数週間は番組全体の50%、2ヶ月を経た現在は40%ほど被災者に対する情報提供を行っているという。(民放の県域ラジオでは災害期間中コマーシャル放送を中止する。災害放送が長引くと経営的に大きな影響を受ける。)

 地域災害情報に適しているラジオはコミュニティ放送だが、東北・関東で被災地を持つ放送局は31局ほどあり、市町村に開設された「臨時災害放送局」20波が現在それぞれ放送している。合計51局が災害放送を行っている。しかしこの数字は実際もう少し縮小する、というのはこうした事情がある。臨時災害放送局は、災害時に際して総務省から特別に免許されるラジオ局で、放送法第三条の五に規定する「臨時かつ一時の目的のための放送」(臨時目的放送)で放送法施行規則第一条の五第二項第二号の目的とする放送を行う放送局。「臨時災害放送局」の語は電波法関係審査基準による。口頭による申請により、即座に免許の発行と周波数の割り当てが行われる。免許主体が地元自治体である。コミュニティ放送局自体に免許されるのではない。免許された自治体はラジオの運営が即手掛けられる訳ではないので、地元のコミュニティ放送局へ運営委託する。委託を受けた局は通常放送を休止してこの臨時災害放送局を運営する。コミュニティ放送局がない地域は放送局経験者を募集して放送ボランティアとともに運営する。復旧や復興に向かい地域活動が平常に向かうとこの放送は終了する。臨時災害放送局免許の大方は2ヶ月程度である。(総務省HPの「臨時災害放送局の開設状況」を参照してください。)

 以上、東北のラジオ災害放送の一端を紹介したが、今回視察でコミュニティ放送局も視察したのでその様子を簡単に記しておこう。三陸沿岸で大きな被害を被った岩沼市コミュニティ放送局〈エフエム岩沼〉の取締役渡邉正次局長にお会いした。この放送局は岩沼市が中心になって開設した局で、震災時市役所の委託を受けて臨時災害放送局を運営していた。渡邉局長の話では、災害情報は市役所の災害本部の情報提供のほか、災害に遭わなかった組織、団体からの情報や局スタッフの取材によるボランティア活動やイベント情報など、被災者の身近な情報を中心に放送しているという。ただ、臨時災害放送局の委託放送は収入のあてはない。この局は日本財団のサポートにより息をついでいる。通常放送に復帰した場合はこれまで収益が維持できるか否か極めて心配らしい。このコミュニティ放送局は、こうした経営視点から平常時の検討が必要で、大きな課題である。岩沼市の被災地は少しずつ落ち着いてきてはいるが、渡邉局長にとっては、新たな不安材料が迫ってくる、と困惑した表情であった。

 もう1局訪問した。岩手県花巻市に〈エフエム花巻?―FM One〉である。花巻市は内陸にあり、海岸より離れているため、臨時災害放送局自治体より放送委託を受けた時は送信所3ヶ所その内2ヶ所は出力100Wで放送した。日頃の電波は20Wだから5倍の出力での放送だ。沿岸地域への受信がこれで可能となった。落合昭彦放送局長によると、委託された臨時災害放送局は23日間の放送だったが、放送開始は発災の日からで、臨時割り込み装置を使い、市役所の災害対策本部より8日間の放送だった。市役所は非常電源設備が完備しているため放送中断が少ないためである。情報はライフラインはじめ市内の情報はじめ、スタッフの取材による災害動向と生活情報を放送し続けたという。歌手、加藤登紀子さんが被災地ライヴを開いた時も、最初にこの局を訪問してくれたそうで、被災者にメッセージを伝えられたことにスタッフは誇りを持ったようだ。

 コミュニティ放送局のない地域は臨時災害放送局の放送で対応しているが、臨時スタッフの召集プロジェクトなので、どこの局も放送開始当初は困難を極めている。免許期間が免許日から2ヶ月なので、そろそろ終了する局や被災復旧作業の状況によって延長する局もあるであろう。いずれにしても地域に限定した臨時災害放送局コミュニティ放送局は、県域ラジオにはできない情報を刻々と放送し、被災者に大きな役割を果たしている。


 「臨時災害放送局」の運営資金はどうなっているか!

 今回視察して強く感じた問題点課題点を記しておこう。コミュニティ放送局の災害
時の経営状況についてである。まず大きな問題として上げられるのは、災害地に免許される「臨時災害放送局」は運営主体が地元自治体である。しかし、この放送局の運営資金が保障されていないことだ。「臨時災害放送局」が設立される経緯が各被災地で異なるようで、自治体自身が開設する場合や民間有志が主導し、自治体が協力という形態で開設するところもある。それによって開設するための放送機材資金や運営資金に出どころが異なってくる。現在、設備関係はコミュニティ放送局システム建設の大手〈MTS〉〈アイテック〉〈八木アンテナ〉など、多くの専門会社が無償提供という形を取っている。しかし、今回のように局数が多くなると、民間企業ではいつまでも無償というわけにはいかないのが本音である。

 そもそも今度の大震災のように、各地域の被災者の生命と財産を守る立場からいえば、発災時の情報提供は“必然”であり、必然には公的資金が必要ではないだろうか。ところが、これほど重要な伝達システムに予算が投入されない、あるいは資金の手立てが明確化されていない、という現実がある。中越地震中越沖地震の時も同様であった。これは国や行政が予め枠組みを決めておかねばならないことであろう。現在(財)日本財団臨時災害放送局には1局あたり上限820万円を、中央共同募金会が上限300万円を運営資金として援助している。各局はその資金から機材や運営費を賄っているところがあるようだ。この件に関しては、今後取材し詳細をレポートしたい。(了)