【第93話】デジタルラジオのかたち・私論 (その14)


■ 日本のラジオは多様な放送が苦手なのか?

 ラジオの将来を考える時、どうしても壁にぶつかる時がある。それは多様なラジオの放送形態が生み出し難い環境である。ラジオばかりではなく、テレビも新聞も雑誌も同様である。ちょっと例をあげよう。たとえば、テレビではNHKも民放もドラマの時間といえばあちらもこちらもドラマ番組、バラエティといえばどこも局もバラエティ番組、最近のBS放送など、NHKが世界文化遺産番組を企画すればほとんどのBS放送が同じ企画を放送する。新聞では、全国紙といわれる新聞は大方同じような記事を掲載する。雑誌も同様だ。それぞれの特色といえば、ちょっとの違い、多少の違い、すなわち〈小さな違い=差異〉を特色としている。メディアの少ない時代は1つの役割を担っていたかもしれないが、このネット時代に、視聴者の、読者の、ニーズに応えられるのだろうか。基本的に疑問を抱くところである。

 この〈小さな違い=差異〉は日本人の文化性向にも内在するものと思われるが、ネット時代というグローバルで、情報の氾濫時代に適合するのかどうか、マスメディアにとっては大きな問題である。現在4大マスメディアがネットメディアに食いつぶされ、危機に瀕している。その先端を走っているのが雑誌出版業界でありラジオ業界である。追随しているのがテレビと新聞である。もちろんこの〈小さな違い=差異〉ということだけが凋落の原因という訳ではなく、もっと根本的なところにある。構造的問題といっていい。これまでのマスメディアのビジネスモデルが現在大きく行き詰ったことは確かだが、ここでいいたいのは、これからのメディアを考えた時、それぞれのメディアの多様性のある〈情報=コンテンツ〉提供が受け手(ユーザー)に期待されていることだけは確かであるということだ。いよいよコンテンツ時代の到来といっていい。この視点から様々なメディアのあり様を考えて行かねばならない。

 最近発売された「週刊ダイアモンド」1/15号は「新聞・テレビ勝者なき消耗戦」という見出しで大特集している。この特集で興味を引くことは、さまざまデータを集めていることで、「テレビ新聞のデータが語る消耗戦」とタイトルに付けた方が相応しいぐらい多くのデータが掲載されている。これを見ていると、島国というコップの中で差異のコンテンツを競ってきたテレビ新聞の限界が現れたことがよく分かる。ネット時代に生き残るには、事業形態から情報=コンテンツ内容、そして伝達方法まで改革して行かねばならない状況が見てくる。

 この特集記事で注目したいのは、サイバー・コミュニケーションズipadユーザーのメディア接触調査である。それによると、ipadユーザーはノンユーザーに比べ、テレビ接触、パソコン接触が減少し、ラジオ、新聞、雑誌が増加しているという結果が出ていて興味深い。今後スマートフォンタブレット端末の急速な普及が見込まれるなかで、この調査には今後のラジオサバイバルの要因が隠されているように感じ取れる。さて、その要因をどのように探り当てて行けばよいのか。


 “多様性のあるラジオ”こそ、これからの焦点

 ラジオや雑誌というメディアは、世間喚起や世論形成の面でテレビや新聞に譲るとしても、身近なメディアとしての存在価値は非常に高い。それだけに、メディアの特色を旗幟鮮明にしたあり方は更に大切さを増していくのではなかろうか。一例をあげると、これはシニア層をターゲットとした番組であるが、このところNHKラジオの〈ラジオ深夜便〉がシニア層に高い人気を誇っている。最近若い人にも聴かれているらしいが、深夜に関わらずじっくり聴かせる番組が多い。ゲストやインタビューものの内容が深いし、しっかりした朗読番組、演芸番組もある。音楽は民放ラジオでは絶対聴かれなくなったものが登場する。月刊雑誌「ラジオ深夜便」の発行部数は10万分を優に超すという。アンカー(パーソナリティ)の集いはどこの地域で開催されても超満員、リスナーは遠方から車で、飛行機で駆けつける。ホームページの月間アクセス数は100万をこちらも優に超えているという。もの・ひと・かねが動くラジオ、これこそラジオの力ではないか。これはあるターゲットに絞った番組の成功例だが、日経ラジオのように「株式市況番組」「メディカル番組」「経済番組」など早くから放送とネットを併せて配信し、高い評価を受けている。

 雑誌「日経ビジネス」が雑誌不況のなかで部数を順調に伸ばしていると聴く。これだけ雑誌の廃刊が多いなかで、注目に値するできごとだ。リクルートの雑誌「R25」の躍進も目覚ましい。察するに、ターゲットを明確に設定し、読者サービスを徹底している雑誌、すなわち、その旗幟鮮明が功を奏しているのだろう。これからのラジオを考える場合、このチャンネルコンセプトを旗幟鮮明にし、それに沿った情報=コンテンツを放送できるラジオづくり体制が求められて行くであろう。

 そこで、まず考えたいのは、ネット時代であり、日本国民が成熟社会を手に入れ、多様化した文化生活を享受しているいま、ラジオは“多様性のあるラジオ”こそ求められているのではなかろうか。これまでと同じように各局が番組を放送し、ネットではサイマル放送として連動していくだけでは、この多様性のあるラジオというニーズには応えたれないだろう。現在の危機を乗り越える方向性ではないといえる。“多様性のあるラジオ”とは、これまで培ってきた人材とコンテンツ制作力を生かし、これまでのさまざまなラジオのあり方をもう一度精査し直して、新たな時代に新たな社会への貢献をラジオがどれだけできるのか、社会的役割を見い出すことではないだろうか。ラジオが社会的、文化的役割を果たし得なければ、社会にとって存在価値が薄れてしまい、したがって影響力を失ってしまう。現在ラジオが衰退している大きな理由は、この役割を社会から認知されなくなったことが根本的に大きい。“多様性のあるラジオ”の実現は、これからの社会的、文化的ニーズの1つであろう。さて、“多様性のあるラジオ”の実現とは一体どんなラジオだろうか。次回から探って見たい。(了)