【第87話】 デジタルラジオのかたち・私論 (その8)

―この項は前回よりのつづきー

(b)アメリカ新聞界の現状レポート&著書

日本の新聞の低迷を戸別宅配の現状やアメリカの現状からレポートしているのが「新聞・TVが消える日」(猪熊建夫著/集英社新書2009年)だ。日本の新聞市場はこの10年、縮小傾向を辿っていることは上述した通りだが、新聞の発行部数だけ限るとそう急激な落ち込みにはなっていない。この10年間で新聞の総発行部数が4.1%程度である。しかし日本の新聞が戸別配達システムによって支えられているのは周知の通りだが、この戸別配達に異変が起きているという。東京都中野区の例で宅配比率が50%を切ってしまったことが新聞社内で象徴的な数字となっている(日本ABC協会2007年下半期のデータ)。この調査時期から3年近くたっているだけに、新聞の土台柱の宅配に大きな変化が生まれていることは容易に想像できる。若者層の新聞離れも激しいが、単にそれだけではない大きな問題を内在している現状を、アメリカの状況に触れながら提示している。


「2011年新聞・テレビ消滅」(佐々木俊尚著/文芸新書2009年)では、新聞界のネット進出の遅れと著者自身の記者体験からみる新聞業界の時代認識を指摘しつつ、新聞のマスメディアとしての役割は消滅していくと説く。本書は新聞とともにテレビの衰退の流れを、ネットとの相関図のなかで構造的な変化を描いている。ネットに詳しいジャーナリストだけに説得力があり、ユニークである。


特に、マスメディア衰退の後にくる世界がどのように動くのかという視点から、インーネットにおける「プラットホーム戦争が幕を開ける」(第4章)では、今後のネットメディアのあり方を示唆していて関心を引いた。ご存知の「グーグル」「ヤフー」は検索のプラットホーム、「ミクシー」「マイスペース」などはSNS、同様なものは「ユーチューブ」「ユーストリーム」「ニコニコ動画」などは動画の交流サイトのプラットホーム。我々がネットでお世話になっているサイトはほとんどがプラットホームなのだ。


その点、新聞のテレビも従来のメディアがネットへ進出する場合、メディア事業としてこのプラットホームが非常に重要だが、プラットホームを創り得るかどうか、もし創り得ないとしたら・・・。著者は来るネット時代のあり方を見詰め、新聞・テレビの生き方を提示している。


 上記の著作は、新聞関係だけを取り上げているのではなく、マスメディアが衰退していく状況を新聞とテレビの両面にスポットを当て、ネットとの関連で書いている。「デジタルラジオのかたち」を考える当ブログとしては、ネットの大波を受けているアメリカの新聞・テレビの現状と新たなチャレンジは今後到来であろうメディアには大いに参考となる。


現在、日本の新聞・テレビは経営的にアメリカほどネットの影響を受けていないが、崖っぷちに立たされている現実は変わりない。どの書籍も〈新聞・テレビの消滅〉とか〈新聞・テレの消える日〉とか、明日にも終わりを告げるかのようなタイトルが付けられている。これは恐らく読者を喚起する付け方ではあるが、アメリカで起こったことは必ず日本に押し寄せてくる流れ、特にネットではほぼ間違いなく到来する実態を踏まえた予測であるからだろう。


(c)インーネットのテレビへの影響
 

確かに日本の新聞はインーネットによって事業体そのもののあり方が問われる段階に差しかかってきたが、テレビはそれに比べて影響は受けているものの、急激な収益減を招いているわけではない。むしろ放送と通信の融合という大きな時代の流れのなかで、その対応が問われている、といっていい。現在そこに起きているさまざまな現象と問題点を整理して問いかけているのが当文の最初に紹介した「新聞・テレビが消える日」(猪熊建夫著/集英社新書2009年)である。


この書籍の約半分を割いて、テレビとインーネットについて記述している。「第1章 テレビとネットは融合するか」はかつて新聞社に勤め、その後映像制作を手掛けてきた著者だからこそ、両メディアの間に立ちはだかる問題点を指摘しつつ、今後のあり方や方向性を見詰めていて出色である。特に映像コンテンツを制作するテレビ側や映像制作会社の大きな問題点「著作権処理」について詳しく述べ、これまで放送と通信の融合を推進してきた政府総務省や通信業界のコンテンツ流通における「著作権処理」の認識の薄さ、甘さを強く指摘している。


このほか、テレビ番組が即ネットで流すことのできないさまざまな問題、たとえば法律上の問題、放送業界の問題、映像制作者内の問題などを具体的に示しながら、それでもそろりとネットに動き出したテレビ局の実態をレポートしている。デジタルラジオを考える上で、放送と通信の融合に対して起きている現象そして問題点課題点を整理し把握するのには、推薦したい1冊である。(つづく)