〔第63話〕 イギリスのCFM放送の現状

イギリスのCFMをご存知ですか

イギリスにCFMがあるそうです。我々はイギリスというとBBCとITVぐらいしか知りませんが、ラジオの分野にもコミュニティFM放送があり、「コミュニティ・ラジオ」というようです。では、このコミュニティ・ラジオはどのような放送をしているのでしょうか。その辺を今回はご紹介しましょう。


イギリスのCFMは放送開始5年で131局誕生!

 イギリスでは2004年にCFMが制度化されて、翌2005年から放送開始しています。現在131局が放送中。免許済み放送局を入れると191局になっています。免許済み放送局は51局あるといいますから、その急速な普及振りが分ります。実質放送中の131局は4年の間に成立しています。日本で131局に達するのに6年かかっていますから、かなり早いペースといえます。
 このほど、イギリスの放送通信の監督機関である「Ofcom」(Office of Communications)が年次報告で現状を発表し、ラジオは増加傾向にあり、健闘している状況を明らかにしたものです。このレポートによると、コミュニティ・ラジオは非営利団体が1つ以上の地域社会を対象として、さまざまな情報を提供しています。独自制作番組は週平均81時間放送、1日平均12時間の放送となります。カバー人口は810万人、1局平均67,000人とになり、コミュニティ・ラジオとして適度なカバー人口といえましょうか。収入源は、地方自治体などから公的支援が45%、広告収入は18%にと留まっています。イギリスでは既存の商業放送の利益を保護するため、広告放送収入をコミュニティ・ラジオ局では全収入の50%以内にする、という規制が付与されています。その代わり公的支援50%としているのでしょう。現状の全収入が公的支援と広告収入合わせて63%で1383万円といいます。月平均115万円。支出は人件費が半分以上占めているもののボランティアなどの協力により、何とか収支トントンで経営しています。(1局当たり週当3時間労働として平均74名のボランティアが協力。)Ofcomの担当主任は、コミュニティ・ラジオは「成功しつつある」として、「中身の濃い多様な情報、コンテンツを地域住民に提供するだけではなく、ラジオの運営を通じて人々がそのコミュニティに深く関わり、それが、コミュニティの質の向上につながっている」と評価しています。(以上3月23日号の新聞「民間放送」から) 
イギリスのコミュニティ・ラジオが制度や運営に大きな違いがありますので、同じ時点で日本のCFMと比較はできないでしょうが、この記事から感じる日本との違いについて少々触れてみたいと思います。


パブリックアクセスとメディアについて

 イギリスのコミュニティ・ラジオの運営は上述したように、公共的支援が50%、広告収入が50%という基本原則があり、この辺に日本との違いがありそうです。イギリスにはパブリックアクセスの存在がこのところ強い関心を集めています。放送によるパブリックアクセスは、公共性の強いBBCが市民アクセスの機会を与えてきた経緯があり、またCATVなどでまでさまざまな実験に取り組んできた経緯があります。しかし、アメリカのように「パブリックアクセス権」という形で法的な背景が生まれるまでには至りませんでしたが、市民の要求が高まり、数年前から着実にパブリックアクセスが広がって、ラジオの分野で実現していきます。1996年放送法が改正されて、市民が放送免許を得られることになります。これは期間限定で28日〜5年間という内容でした。各地のイベント主催者や少数民族のコミュニティなどが手がけて、4000ものラジオ免許が発行されたといいます。最初「アクセス・ラジオ」という呼び名でしたが、その後「コミュニティ・ラジオ」と呼ぶようになりました。2004年コミュニティ・ラジオ法令が出され、本格化することになります。以上のように、イギリスのコミュニティ・ラジオの背景に触れると、市民が主役となっていて、市民メディアの色彩が強く現れています。その上、当然利益を目標としていないNPO法人が運営する事情から、公的機関の支援という位置づけが強く打ち出されています。


「パブリックアクセス」と日本のCFM

 因みに、市民が番組を制作したり放送したりする権利を「パブリックアクセス権」といいます。専門家の表現には、「パブリックアクセスというのは、直接的には、一般市民が一定のルールによって自主的に放送番組を企画・制作することを指し、広くは放送にかぎらず、『言論・表現の公共圏』(パブリックフォーラム)にアクセスする行為や制度を指す」とあります。(「パブリックアクセスを学ぶ人のために」津田正夫・平塚千尋編より。) 商業放送が基盤となっているアメリカでは、民意を反映し難い傾向にありました。そのため市民からの要求が、パブリックアクセス運動が起こり、長い歴史を踏んで確立したのが「アクセス権」です。1972年FCC(放送通信を管理する独立組織)がケーブルテレビ事業者に対して3種類のコミュニティ・チャンネルを設けるように指示したことに始まります。「市民制作チャンネル」「教育チャンネル」「自治体チャンネル」の3つです。こうしてアメリカでは、ラジオよりもケーブルテレビ分野で「アクセス権」が確立したのです。日本と異なり、国土の広いアメリカでは、国民生活の地域性が大きく、人種も多様であることから、パブリックアクセスの成り立ちも他の国とは異なった環境から成立したようです。しかし、経済がグローバルなった現在、人々の移動が盛んとなり、各国では移民政策や就業問題が大きな問題となっている状況は周知の通りです。ここに生活改善や制度の見直しなど、少数派の意見表示や行動を社会に知らせる手段が求められています。メディアへの「パブリックアクセス」が各国で増加してきている背景にはこうした事情があるのではないでしょうか。
 日本における「パブリックアクセス」については、さまざまな形で取り組まれています。ケーブルテレビが先行して、コミュニティ・チャンネルでさまざまな実験が取り組まれていますし、CFMでも、兵庫県にある「FM わいわい」や日本で始めてのNPO法人「京都三條ラジオカフェ」などが取り組み、成果を挙げつつあります。日本ではこの「パブリックアクセス」について法的拘束力がなく、一般のラジオ放送との違いがないため、運営経費を捻出するための努力が大きな比重となっています。このためNPO法人のCFM局は非常に苦しんでいるのが現状です。


CFM局の「災害放送」と運営費の問題

 日本では「パブリックアクセス」が法的な裏づけがない、といいましたが、この法的な裏づけで思い出すのが、CFMの〔災害放送〕ではないでしょうか。これこそパブリックアクセス以上に、地域生活者の生命と財産に関わる情報を提供し続ける「災害放送」に対し、現在公的資金の支援、あるいはそれに類する支援が1つのない、という現実です。これまでCFM局が果たした災害放送は中越地震の「FMながおか」、中越沖地震の「FMピッカラ」です。30日〜40日の「災害放送」をし続け、放送提供企業のCMを一切排除し、無償の放送を続けました。かかった費用は放送した局や協力したスタッフの自己負担となったいます。行政は被災を負った道路、施設や家屋、被災者に対しては手厚い支援の方策がさまざま施しています。それに関らず、地元の自治体も県庁も国の関連省庁も、このCFM局の「災害放送」の費用負担に関しては一切口を噤んでします。これはどうしたことでしょう。

 どうも日本のお役人は、前例のないものには従わない、という鉄則があるようですが、災害とは滅多に前例があるのもではありません。特に大きな震災は50年〜100年に1度やってくるもので、前例などない天災事変です。これに対して広告収益で維持しているCFM局はどのように対応したらよいのでしょうか。対策は色々あるとしても、まずは国、県庁、地元自治体など公的機関が支援策を考えるのが最初ではないでしょうか。
 なぜ、この点を強調するかというと、上記2つの災害地域を例にとると、総務省から「臨時災害放送局」の免許が自治体に下されていて、その放送運営が地元のCFM局に委託しているからです。新潟中越地震の「FMながおか」は通常放送局を休止して委託された「臨時災害放送局」を運営しています。新潟中越沖地震の「FMピッカラ」(柏崎市)は自局の放送を「災害放送」に切り替え、電波の届かない「刈羽地区」(原子力発電所の地域)に「臨時災害放送局」が認可され、自治体からの委託でその申請から運営を手がけました。したがって「FMピッカラ」は40日間無収入で放送し続けたのです。阪神淡路大震災新潟中越地震、新潟中越沖地震と10年間に3回に渡って大きな地震に見舞われて、「臨時災害放送局」が免許されましたが、肝心な経費は担当した近隣の放送局やボランティアの負担に頼っている現状です。阪神淡路大震災の際には、広域ラジオが「災害放送」のため経営危機に陥ったほどです。コミュニティFM放送に携わる団体や人々は、こうした現状を声高にして、この対策を然るべきところに働きかける必要があると思います。それこそ「パブリックアクセス」です。皆様はいかが受け取られるでしょうか。(了)