ラジオの新たなかたち・私論 〔第17話〕

**昭和の終わりと時代の転換期20年〈その1〉**


〔一億総中流といわれた80年代の社会諸相〕

 70年代の社会の動きと民放ラジオの歩んだ道について、長い時間をかけて記してきた。それは高度成長から安定成長へと時代の流れが変わり、社会生活の上で戦後という意識が薄れていく一方、テレビに押された民放ラジオが衰退を経験し再興を遂げていくという、ドラマチックな変遷があり、この歴史から現在衰退を経験している民放ラジオにとって立ち直る糸口が発見できるのではないかという理由からであった。この時期を振り返り、メディアの基本的なあり方のところで、これからのラジオに示唆を与えてくれる重要な視点を見出すことができる。この点については詳しく後述したいと思う。

 80〜90年代の民放ラジオを一言でいうならば、70年代に開発し発展させたメディア・イノベーションを更に進化させた時代であったことだろう。このラジオ展開と社会の繋がりを探っていくために、80年代の社会の動きを簡単に触れておきたい。

 1980年代は、歴史的エポックメイキングな出来事に遭遇した時代だったといえる。そのキーワードを幾つかあげてみよう。「中曽根政権」「デズニーランド開園」「日航ジャンボジェット機御巣鷹山墜落」「チェルノブイリ原発事故」「バブル景気」「昭和天皇崩御」「ベルリンの壁崩壊」と、時代を象徴するような社会的出来事が出来している。しかし社会全体としては安定した雰囲気のなかで、レジャーに浮れる国民、経済的満足こそすべてであるような生活感覚が蔓延していた時代であった。特に後半の「バブル景気」に乗った世相は、後にやってくる長期不況の原因を内包しながら進行していたのである。

80年代は経済的に安定成長を続け、後半は大型の景気拡大が持続された時代である。政治では中曽根内閣が中心となり、「戦後政治の総決算」をスローガンとして取り組んだ。このスローガンは後に著した「自省録」では自民党内のバランスの取れた政治から、強力なリーダーシップを持った総理大臣という政治手法といっている。具体策では「臨時行政改革審議会」の発足と提案の実施、国営企業の民営化(電電・専売・国鉄など)など着手する。経済面では輸入の拡大や規制緩和などを促進させ、後のバブル経済へと繋がっていく。

 規制緩和国営企業の民営化は、「大きな政府」から「小さな政府」を提唱する新自由主義ネオリベラリズム)の政策の1つであるが、中曽根内閣は、財政赤字で苦しんでいたイギリスのサッチャー元首相やアメリカのレーガン元大統領が採用した新自由主義市場原理主義を路線に近い政策を採用していく。特に日米安全保障政策で日米両国の強化を図った中曽根首相は「ロン・ヤス」関係と呼ばれるほど親交を重ね、5年間に12回の会談を開いている。この間、重要な防衛政策、経済政策などを決定していった。新自由主義については後に触れることにする。

 国民の生活はどうだったのか。70年代の2度に渡る「オイルショック」を切り抜け、安定成長を遂げていた80年代は、国民にとって「豊かさ」を実感する環境が進んでいた。ある銀行が84年にサラリーマンの持ち家について調査したところ、大都会の東京大阪に住む30代が37%という結果を出している。地方は持ち家率が高いが、都会に限定しても4割近くの人が持ち家である結果は、「豊かさ」の象徴ともいえるであろうか。都会で結婚する人はマンション住まい、あるいは郊外の一軒家に住むことが普通に受け止められていた。

また家族における夫婦の役割も変化して、夫が家事や育児の手伝いをするのも普通の週間となってきた時代、更に職場では男女雇用機会均等法の成立に伴い、男女の労働条件がかなり変化してくる。職場でも家庭でも男女関係の意識に変化が生じていった。たとえば「現代日本人の意識構造〔第6版〕」(NHK調査)によると、「父親は仕事、母親は家庭」という(昭和の家族的)性役割分担では79年38%に対し93年には20%に減少、女性で「結婚後も仕事を継続した方が良い」という両立は78年27%に対し93年37%に増加している。日本人の社会意識がポスト高度成長の70年代から80年代の20年で、夫が妻に、父親が母親に優先する昭和型家族像は確実に崩壊していった時代であろう。(つづく)







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