第69話 NHK朝ドラ「つばさ」にみるCFM

コミュニティ放送の暖かさとリスナーの交流

7月11日(土)の「つばさ」をみて、ああ、この番組のプロデュサーやディレターもやっとCFM局の本質が少し分ってきたのかな、という場面に出会いました。それはこうです。「つばさ」は広域ラジオの人気パーソナリティ「ベッカム氏」の番組にゲストとして出演し、明るくて素直さな性格が彼から気に入られ、「ベッカム氏」は「つばさ」を広域ラジオへレギュラー出演しないかと誘いにくる、それをきっぱりと断る場面でした。その理由は「FMぽてと」の番組「天気予報」でも、いつも聴いてくれるリスナーがいて、応援してくれるということ。そのお手紙を番組で紹介したら、子供たちが折り鶴をおって届けにきてくれた、そのリスナーの暖かさに心打をたれて、スタッフ全員が折鶴を折り増まして千羽鶴をつくり、リスナーのおばあさんにプレゼントする、そんな体験をした「つばさ」は、大きな放送局では得られない小さくも深い喜びを覚えます。その時のセリフ「地元の人のためにささやかな話題を取り上げるのが自分の夢」と答えます。いい場面だったと思います。
 もう一つ感想があります。思いもよらずドラマに表現されていて共感したことがあります。それは、「ベッカム氏」の態度です。“おれは広域ラジオで鳴らしているパーソナリティなのだ!こんなちっぽけなラジオ局でくすぶっていてどこが楽しいんだ!”と言わんばかりの広域ラジオ人のCFM人を見下した態度です。これは、いま、広域ラジオの人たちに共通しているCFM感のような気がします。ドラマではその実感がよく伝わる場面でした。こんなことを感じたのは私だけでしょうか。

■ 広域ラジオとコミュニティFM放送との違い

 このブログでは、コミュニティFM放送の特色を広域ラジオと比較してさまざまな分野から取上げました。特にパーソナリティのあり方では、前回、前々回の「FMレディオ湘南」(エフエム藤沢)出演の財津紀元さんが体験した「CFMパーソナリティ論」を紹介しましたが、このなかにもCFMパーソナリティの特色が分り易く取上げられていました。かつてご紹介したCFMのパーソナリティで、広域ラジオ、CFMの両方を体験されている方のコメントを、ここで再録したいと思います。広域ラジオとCFMとの違いがよく分るインタビューでしたから・・・・・・・。

ひのきしんじ氏〕インタビュー
音楽プロデューサー。数々のヒット曲を世に送り出してきた第一人者で、かつてFM東京午後のワイド番組に「FM歌謡バライティ」のパーソナリティとして、またディレクターも担当し、経験を積んでいるひのき氏は、現在「FMせたがや」の番組や「ミュージックバード」のコミュニティ・チャンネルのパーソナリティとして活躍しています。ひのき氏は「広域ラジオとCFMパーソナリティの違い」をこう語っています。
(a)パーソナリティとリスナーは距離が近いこと。「双方の距離が近い」という特色があります。実感するのは、不確かなことを番組で “これはどういうことなのかな”と質問を投げかけると、即座にメールで返答してきます、それも一人や二人ではない。反応が実に早いのです。この現象が日常的な反応。ラジオの聴き方が「聞き流し」ではなく、「傾聴型」になっていることではないでしょうか。
(b) 「熱いリスナー」であること。パーソナリティが話している内容を熱心に聴いていて、自分の感想や思いをすぐ伝えてきます。そしてすぐ行動に移します。時には放送局に駆けつける方もいます。熱心さには驚かされることが多いですね。
(c)パーソナリティは「嘘をつけない」。これは、知ったかぶりで話したり、間違いを平気で話したりすると、リスナーは敏感に反応します。そういう場合は、むしろ率直にリスナーに相談した方がいい。そうしないと「嘘つくパーソナリティ」としてレッテルを貼られ、一気に信用を失ってしまいます。大変怖いことです。
(d)「人間味」が求められます。「人柄」といった方がいいかもしれませんが、CFMのパーソナリティは「普段着」の中にもリスナーへの「心遣い」「思いやり」が殊に必要だと思います。
ひのき氏の話には広域ラジオとの違いがはっきり現われているように思います。日常生活での“ざっくばらんな話し方”の中にも気遣いや“親しき中にも礼儀あり”といった対応が求められているのも、リスナーとの距離が短いからでしょう。CFMのパーソナリティは“心の在り様”までリスナーに伝わってしまうメディアであることは特筆に価します。これはCFMの媒体価値にまで影響する点で大いに注目しておきたいものです。

■ CFMパーソナリティの特色を箇条書きにしてみると・・・

さて、CFMのパーソナリティは広域ラジオのパーソナリティとどこが違うのでしょか。その異なった点を具体的に纏めてみると、次のポイントが浮かび上がります。
(a)パ-ソナリティとリスナーの距離が短い 〔見えるリスナーであること〕
(b)リスナーの反応が早く熱いことが多い  〔行動的なリスナーであること〕
(c)パーソナリティは知ったふりをしないこと 〔不確かな発言は信用を失う〕 
(d)パーソナリティの心模様が伝わる  〔何を考えているかが伝わってしまう〕
(e)感動や共感がリスナーと共有できること 〔気持ちを分かち合えること〕 
箇条書きにするとこんな風に言い換えられでしょう。「パーソナリティ」と「リスナー」の距離が短いだけに、「コミュニケーション」の取り方に違いが生まれ、パーソナリティ個人の人柄や息吹までが伝わってしまう、言い換えると100人の参加者の前で「話す」話し方と仲の良い5〜6人のサークルで話す「話し方」が違うように、人数が少なく、親しい間柄での話しには、砕けた話し方や親しみを覚える話し方によって通じ合えるもの。CFMのパーソナリティは、身近で親しみある「話し方」こそ、リスナーと話を共有することができるのです。また、そうであるが故に、リスナーへの「気遣い」「心遣い」が一層求められる一方、普段着の姿に「人柄」が滲むような、そんな姿が求められるようです。口では簡単に言えますが、これは大変難しい話術です。広域ラジオのパ-ソナリティは、持っている情報や話題を「話の上手さ」「話の面白いさ」「声の特色」など、多くのリスナーを楽しませる話術と個性が求められるが、CFMでは「人柄」や「思いやり」といった人間性の魅力が求められるところに特色があるといえるでしょう。(了)