ラジオの新たなかたち・私論 〔第18話〕

**昭和の終わりと時代の転換期20年(その2)**


〔永遠に続くと信じた経済成長からバブル崩壊へ〕

 80年代後半のバブル景気について触れておこう。「バブル景気」とは、86年から91年まで4年と3ヶ月続いた資産価格上昇と好景気のこと、またそれに伴う社会現象である。資産価格が一時的に泡のように膨らみ弾けてしまう様子からこのような呼び方をする。実体経済ではなく、資産の高騰による好景気なので、資産を持たない一般市民には無関係ではあった。しかし、資産の運用で資金を手にした多くの企業は、税務対策として新たな投資や厚生施設の購入、様々な交際費に資金を使い、企業内では浮れた気分が蔓延していたことも事実であった。

 この時期為替市場は、80年ごろは1ドル250円程度であったが、86年には120円の円高になり、輸出の後退と企業の東南アジアへの工場移植が急激に増加し、また国内の公共事業への投資が進んだ。「東京湾アクワライン」プロジェクトが発足したのもこの時期である。リゾート地開発が活発化も同時期で、リゾート法成立とともに、全国各地のリゾート開発や財的ブーム、消費ブームが過熱した。企業の資産価値として芸術品購入や一般消費者は新車購入、旅行など消費に走り、消費こそこの世の美徳と言わんばっかりのお金の使いようであった。20年近く続いた豊かな社会のあだ花といっていいかもしれない。

 こうした稀にみる世の浮れようは、後の長期不況を少しも予期することなく、ある日突然バブル景気の崩壊という事実を迎え、国民的な浮いた気持ちのツケは長い不況という形で経験することになる。こうした珍しい体験の時代に、民放ラジオはどんな活動をし、何を社会に提供していったのか、詳しく見ていく必要がある。なぜならば、この時期の体験が、この後続くことになり長期不況(失われた10年とも20年ともいわれる不況)と現在苦しんでいるラジオの衰退状況の発端を見て取れるかも知れないからである。


〔専門家による戦後史としての80年代〕

 80年代という時代は、社会全般にわたって戦後の大きな転換期であったといえそうだが、この時代に青春を過ごした人々が現在日本社会の中核を担っている。特に民放ラジオの経営者はこの世代が多いと思う。それだけに、自らの体験とともに、これからの社会を考え、民放ラジオの発想を豊かにして行くためには、80年代という時代を検証しておきたいものである。また、ブログのテーマ「新たなラジオのかたち」を考えるためにも貴重な年代である。大きな時代の流れとある時代の終わりに立つ80年代を、2人の専門家の捉え方を紹介しながら考えてみたい。

 昭和史を研究する半藤一利(作家)は、「昭和史/戦後編」(平凡社)で、40年周期で勃興と衰退を繰り返しているのが日本の近代史という視点の上からみると、明治時代の国家目標は富国強兵で、国家の機軸は立憲天皇制、このシステムはうまく機能し成功したが、その後、軍部を中心とするうぬぼれのぼせた権力者が天皇制を世界の中心であるかのように仕立て、国家目標をアジアの盟主にしようと幻想をいだき、結果として国家を滅ぼしてしまった。戦後の国家の機軸は平和憲法、国家目標は民主主義であったが、いつの間にか軽武装・経済第一主義となり、経済大国を完成させていく。しかしその後バブル崩壊で経済国家は崩れていくという。

 株価の最高値を記録し,DNP世界第2位を誇り経済大国となった日本、戦後から数えると1952年(昭和27年)独立してから40年目の1992年、その前の年にバブルが弾けてしまう。明治時代日露戦争に勝ち(1905年)、国家づくりに成功し、結果的にうぬぼれのぼせて国際的に孤立し、ついに世界を相手に戦争し滅びてしまう。丁度40年後であった。こうして40年周期をみると、1980年代は崩壊する最後の繁栄した10年で、過剰に自信をもって日本を動かした人々による、いわば第2の敗戦になってしまった。この40年周期説では2032年、後18年で迎えることとなる。現在の政治情勢、国際情勢、社会現象など、しっかりみつめていかねばならないが、不安要素が年毎に増えているような感がしてならないと思うのは私だけだろうか。(つづく)






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