【第90話】 デジタルラジオのかたち・私論 (その11)

■ インターネットに取り組むマスメディア
 先日、東京のラジオ局幹部と話をした折り、次に登場するラジオについて彼はこう語っていた。もう「デジタルラジオ」とは言わないでしょう。これからは「マルチメディア放送」ですと。ラジオ放送界ではこれからのラジオをそう捉えているようだ。当ブログでは敢えて「デジタルラジオのかたち」というタイトルを付けたが、もう古いのか・・・。

 このタイトルを付けたのには理由がある。それはマルチメディア放送がどんな放送になるのか、これまでのラジオに代わって社会的文化的役割を果たす新たな放送がマルチメディア放送となるかどうか現時点では判断ができない。また、ラジオというメディアが他のメディアにはない特性を備えており、デジタル時代になってもそのメディア特性を生かせるメディアであってほしい、という願いも込めておきたかったからである。

 アメリカのメディア界は日本より一足早くインーネットの大波を受けており、マスメディアへの影響は計り知れない。しかし、メディア事業者の基本的発想は、メディアとツールははっきり分けて考えているという。電波とか新聞紙・雑誌はあくまでコンテンツを伝達するツールであり、ツールが古くなれば新しいものに変えればいい、という発想らしい。非常にドラスティックであり、なるほどと納得するところがある。

 その点日本のメディア界は、どちらかというと新聞記事や放送番組といったコンテンツよりも、ツールである電波や紙に重きを置く傾向がある。数年前ネット事業者が放送局の大株主になろうとした折りに大騒ぎになったが、放送局はコンテンツ論議よりメディア論、ツール論にこだわっているように思えた。新聞は紙、放送は電波、というツールへのこだわりだ。いかにも日本のメディアの特色が現れている。それから約2年、現在ではネットをどう取り込むか各局ともチャレンジし、ネットによるモデルづくりに躍起になっている。

新聞のネットチャレンジはプラットホームに記事を提供する一方、自社のニュースサイトの充実に力を注いでいる。テレビは各局ともネットによるオン・デマンド放送を開始したり、ラジオではネットラジオの開始やツイッターの取り込みなど、出版界は大手が参加した協議会を創り、電子書籍化へ取り組みを急いでいるという、ネット対策しきりである。もちろんこれは必然的な流れであるが、このネット対応がややもすると遅きの嫌いがあり、その遅れをどう取り戻すのかこれからの課題でもある。インーネットの革新は日進月歩ではなく秒進分歩である。ツイッターが日本上陸2年半でマスメディアにも劣らない影響力を発揮している状況をみても理解できる。恐ろしいほどである。

 さて、ラジオの行方はどうなるのであろうか。ラジオに長く携わってきた者にとって案ずるところが多い。民間のラジオは毎年投下される広告費が減少の一途を辿っている一方、次の時代の放送モデルが見えてきていない。ややもするとメディア自体の存在に影響を与えかねない状況である。そこで、新たなラジオモデルを考えていくのが当ブログの目的なので、その点に踏み込み、あるべき姿を探っていきたい。


■ これからのラジオを考える筋道とは!
 ラジオがこれからの時代を生き延びるためには、ラジオの持つ基本的機能と社会的役割の再確認、これまでの歴史で培った受け手であるリスナーとその変化、放送番組というコンテンツの見直し、放送事業としてのあり方、そして放送活動の姿勢、このなかにはデジタル化社会の方向性、ネットメディアとの融合をどのように図っていくかという大きな課題が含まれる。また、ラジオマン(放送人)といわれる資質の問題もあるだろう。そこまで広く深く検討していく必要性があるように思う。

 長年ラジオ界に身を置いてきた者は、この半世紀の間ラジオが大きく変化してきた実態を身を持って感じている。その1つはテレビの登場以前と以後の違い。これはラジオのあり方自体に大きな変化をもたらしたこと、次にラジオが多極化することによる競争原理が働き、本来の目標を見失ったこと、そしてその結果であるがリスナーのラジオ離れ、インーネットの影響など、ラジオの衰退へ繋がっている、という大きく3つの視点があげられよう。もちろんこの分け方に異議のある方々も多かろう。

この3つの変遷のなかに共通して指摘できることは、その時々の時期によって異なるが、日本社会の高度成長とともに企業の利益を最優先とする体制に組込まれていったことであろう。テレビは視聴率最優先体制、ラジオは聴取率最優先体制であったことがそれである。ここに放送局の番組制作(コンテンツ制作)スタッフの外部発注が増し、局内制作が減少していく。この実態は1990年代も引き継がれ、2000年に入ってからは方向性を見失っていく。2006年に大阪のテレビ局で起きた番組「発掘!あるある大事典」でデータ捏造事件があり、放送番組の実態と番組制作費の問題が表面化したことで大いに注目されたが、ラジオにおいても規模は小さいが、当たらずといえども遠からずで、社内制作は少なく外部発注になっていったことは事実である。この結果、販売セクションである営業部門の強化と番組制作部門の弱体化が進んでいったのである。
(つづく)