第70話 NHK朝ドラ「つばさ」を見終って!


長い夏休みをいただき、ブログはしばらくお休みしておりました。毎回お読み下さる皆様に大変ご迷惑をお掛けいたしました。ここでお詫びを申し上げつと共に、これからもコミュニティFM放送のメディア理解と向上に努力して行きたいと思います。何卒よろしくお願いいたします。

■ 舞台となった「ラジオぽてと」の認知はいかに!

「つばさ」は、埼玉県川越市を舞台に展開するヒロイン・玉木つばさ(多部未華子)と家族、ご近所、友人の生活模様を描いたドラマであるが、その中心となったのがCFM局「ラジオぽてと」。コミュニティFM放送にとって、大いに一般認知へ繋がったのか、それとも学校放送の延長ラジオでおわったのか・・・。議論が分かれるところである。
NHKを代表するドラマの一つである朝の連続ドラマだが、今回の「つばさ」はことのほか賛否両論があったようだ。ドラマ評価としては、毎日新聞9月28日付記事によると、平均世帯視聴率が13.8%と、これまでの最低を更新したという。見ていてあまりにも様々な要素が入ってきて、ドラマの雰囲気が打ち切られてしまうことを良く感じた。批判があるのはこうした演出方法だろう。賛成派は恐らく万年女性一代記の伝統を破った描き方で新鮮味を感じた、という受け止め方であろう。この受け止め方の振幅が大きかったために、賛否両論が生まれ、視聴率低下に繋がったにちがいない。自民党から民主党へ、企業は老練な経営者から若手経営者へ、と変わりつつある。時代の行き詰まりを感じ、変わってほしいという国民、視聴者の気持ち、その変化を組織、団体の長(おさ)はどのように受け止め、変えて行けばいいのか、NHKドラマに現代の世相が現れている感じがして、大変面白く受け止めた。

■ CFMという視点からの「つばさ」を見ると・・・

 では、CFMという視点からこのドラマを見た場合には、どのように評価されたであろうか。当ブログ第50話で「つばさ」を取上げて、CFM局を学校放送の延長ではないか、という印象を一般の人に与えかねないことを記したが、今回はその後のドラマを通した感想を記したい。
 ドラマのなかの「ラジオぽてと」は主人公の〈つばさ〉がラジオを通じて人と人との“心の絆”を大切に、人の誤解や思い違い、夢や志を叶えられるよう八面六臂活躍をするその舞台となる。しかし、〈つばさ〉の活躍が家族からご近所、職場の同僚と至って身近な人々の絆の展開である。したがって、「ラジオぽてと」を舞台としているが極狭い範囲の人々の絆になり、上述した学校放送の延長というイメージを拭い去れないところがあった。全国で230局が放送しているCFM局の現場から眺めると、ちょっと特異に見える。ご近所の人や繋がりのある人ばかりの出演ではなく、川越市のさまざまな婦人会や自治会、商店会などなどの人々もさり気なく出演したり、伝える情報も市役所のお知らせや婦人会の催しなど川越市の広い範囲から情報が放送されている様子がほしかった。ご近所放送局のイメージを払拭するために・・・。もう一つ強く感じられるのは、CFM局の設立主体がどうであれ、地元の自治体と商工会議所ないし地元経済界にバックアップしてもらわないと本当の意味でCFM局経営は成り立たない。そうた姿がドラマには見えなかった。CFM局を知らない多くの視聴者は、“CFM局ってこんなものなのか”と誤解してしまったのではないか。それが心配であり残念でもある。
「ラジオぽてと」のよさといえば、広域ラジオにはないCFM独特の暖かさ、温もりが現れていたことであろう。いつも広域ラジオを聴いているリスナーには、なかなかり理解し難いかもしれないが、CFMは市民であるリスナーとの距離が短いだけに、パーソナリティの息遣い、心のあり様が伝わってしまう。またリスナーの反応も熱く早い。それだけに知ったかぶりをした話をすると直ぐ見破られてしまう。親しき仲にも礼儀ありで、親しみのある話し方が求められる一方真摯な姿勢が必要とされる。それだけに、CFMのパーソナリティとは、本当の意味で難しい仕事である。 
 CFM局のパーソナリティは市民参加が大切、そのためには話せる人は誰でも出演できることが前提となる。しかし、もう一歩踏み込んでみると、そう簡単ではないことが以上のことでお分かりであろう。市民ラジオそして番組の創り手であるパーソナリティは、広域ラジオとは異なったパーソナリティ像が存在するのである。ドラマ「つばさ」では、その一端である親しみのあるラジオ、真摯な姿が少し描かれていたように思う。CFMに携わったことのない方々は、ぜひともCFMのこの点を理解していただき、もしパーソナリティを希望されている方は、CFMパーソナリティの特色をよく理解し、学んでから番組に携わって欲しいものである。(了)