ラジオの新たなかたち・私論 〔第26話〕

**80年代の社会潮流に民放ラジオはどう取り組んだか**



民放AMはFM競合時代にどのように取り組んだか!《 Part4 》


〈 民放FMの開局ラッシュとともにラジオ事業全体が成長した時期 〉

 事業面からみた80年代の民放ラジオは、営業展開においてもAM/FM競合時代であった。 80年代初頭の民放FMは東阪名九の4大都市のみであったが、82年エフエム愛媛の開局を皮切りに、85年までに21局、89年には32局が開局、総務省のFMチャンネルプランである1県一波体制が急速に進んでいった。89年のAM/FMの局数を比較すると、AM47局に対してFM32局、6対4の比率になっている。これは当然AM営業の展開に影響を与えたが、結果的にはラジオ全体の収益を押し上げる結果となっている。具体的に営業収益について触れてみよう。

 民放連の資料によると、民放ラジオ全体の営業収入は、81年度が1489億円、85年度が1862億円、90年度には2827億円と倍増している。各年にバラツキはあるものの年平均7%台の成長率を示している。民放ラジオ史上最高の収益を挙げたのが翌年91年度の2866億円(地上波のみ)で、前年より40億円ほど増えている。この収益の流れを考えると、80年代の民放ラジオは事業としていかに順調な成長を遂げていたかがよくわかる。この収益からAMとFMを比べると、81年度のAMとFMは9対1の割合が、90年度には7対3の割合になっている。FM局の開局ラッシュと収益の伸長が民放ラジオ全体にしっかりと足場を構築したことがわかる。

 民放ラジオ全体の営業収益の最高が91年度の2866億円と記したが、この数字がどの程度のものかを理解するため民放テレビと比較してみよう。同年度の民放テレビ全体は1兆6626億円で、テレビとラジオは8.5対1.5となる。事業規模からみる民放ラジオは、放送事業のなかで最も収益が高かった時点でもテレビの1.5割(15%)程度の事業規模である。これは事業収益という視点からだが、社会における影響力の大きさという点では一般の企業と比較し得ないが、両面からラジオの位置づけを理解する必要がある。

 上記数字は、80年代の民放ラジオの事業面からみているが、因みに、現在の状況を記しておくと、2013年度ではテレビが約2兆800万円、ラジオが約1450億円で、ラジオ最高収益時と比べると50%ダウンしている。地上波放送全体の7%のシェアでしかない。この数字は現在もあまり変わっていない。民放ラジオの危機が叫ばれているのはこうしたラジオ事業の著しい低下ゆえである。話を80年代に戻そう。

 放送産業からみた民放ラジオの位置づけをみてきたが、もう少し広げて、日本のGDP及び日本の総広告額と比較してみると、民放ラジオはどの辺に位置づけられるだろうか。80年代の最後の90年を取り上げよう。90年の民放ラジオ全体の営業収益は上記に記した2827億円(民放連資料)、この年の日本の広告費は5兆5648億円(電通資料)で、ラジオは5%のシェアである。なおこの年の電通発表による日本の広告費のラジオ広告費は2335億円で、ラジオのシェアは4.2%になる。因みにこの年のGDP(実質国民総生産額)は524兆円で、日本の広告費は5兆5648億円であるから1.3%である。

 同様の比較を近年の2013年でみると、民放ラジオは民放連資料によると1450億円、電通資料によると1243億円となっている。日本の広告費5兆9762億円(電通資料)のなかで、前者は2.4%程度、後者は2.1%程度となっている。またこの年のGDPは525兆円であり、日本の広告費は1.1%程度になる。国民1人ひとりが生産する生産額(GDP)からみるとラジオ事業の小規模さがわかるが、やはり事業規模と情報伝達による国民への影響力の大きさを併せて民放ラジオという事業をみていかないと本当の姿がみえてこない。この点を留意して上記数値をご覧いただきたい。なお、電通の「日本の広告費」によるラジオ広告費と「民放連資料」によるラジオ収益額では数字が異なるのはラジオ局の事業外収益に対する計上の仕方にあると思われる。

 1990年時点で民放ラジオ収益は日本の広告費のなかで5%のシェアであったことは上述した通りで、この時点では5%メディア、後にシェアが下がり3%メディアといわれるようになる。これは主に広告業界で言われた表現ではある。宣伝広告分野においてよく4大メディアといわれるのはテレビ、ラジオ、新聞、雑誌のことだが、このころよりラジオと雑誌はメイン・メディアというより、サポート的メディアとして位置づけられていった。しかしラジオも雑誌もメイン・メディアにはないメディア特性を持っており、宣伝広告商品にとってかけがいのないメディアであったことは、ラジオと雑誌の宣伝によって価値が認められ、広告主に還元された多くの商品を忘れることはできない。

 以上長々と綴ってきたが、80年代の民放ラジオは70年代を含めてラジオの黄金時代を形づくってきた様子を理解していただけると思う。(つづく)





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