【第100話】 デジタルラジオのかたち・私論 (その21)

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トピックス
    ◆◆ 10月にNHKラジオがネット同時配信(再送信)開始へ  ◆◆
  総務省はこのほどNHKの申請したラジオ放送のインーネット同時再送信事業を認可した。  NHKは試行的に来る10月より2014年3月まで実施すると発表。チャンネルはラジオ  第1、第2、FMの3波を、NHKホームページを通じてストリーミング方式で提供する。  この同時再送信は難聴エリア拡大に伴う改善策と位置付けられている。今回の東日本大地震  でラジオの存在がクローズアップされたが、NHKラジオのネット進出によって、ラジオは  ネット聴取が増加し、新たな聴取形態が形勢されていくものと思われる。
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(b)ラジオパーソナリティに、新たな役割を見出そう!

 これからのラジオのあり方4つの道標の内、1つ目の道標「新たな時代に社会的文化的役割を果たすラジオ放送ビジョン」について取り上げている。前回は、(A)地域ジャーナリズムの尊重する放送体制づくり、についてスポットを当てた。今回は(B)ラジオパーソナリティの新たなあり方とその方向性に触れる。

 ラジオのメディア特性として「マス・パーソナル・コミュニケーション」という、マスでありながら個人との対話形式を取り、そのなかにリスナーとの親和性を高めるという、他のメディアにない特性を持っていることはメディア特性の整理のところで触れた。この特性は放送番組とリスナーにヒューマンな関係を生む。その力を遺憾なく発揮するのがパーソナリティの存在だ。ラジオの主役なのである。そしてラジオパーソナリティの存在も、時代とともにさまざまなスタイルが生み出され、変化してきている。

 たとえば、AM放送の1960年代は糸居五郎高崎一郎といったパーソナリティに代表されるスタイル、FM放送1970年代は城達也来宮良子といった俳優・声優たちの活躍によるクールスタイル、1980年代以降は日本の国際化とともに、バイリンガルを操るDJたち、小林克也ジョン・カビラなど多くのパーソナリティのスタイルが好まれた。こうしてみるとその時代その時代に相応しいパーソナリティが登場してきたといっていい。現在は百花繚乱の様相を呈しているが、世の中の多様化とともに求められるパーソナリティ像も多様化多種化しているのも事実である。パーソナリティは時代の雰囲気やセンシビリティをシンボライズして今日にきている。その意味ではこれからパーソナリティも、新たなあり方を考えなくてはならないのではなかろうか。

 2000年に入りこの10年、0年時代ともいうそうだが、バブルの崩壊によって高度成長が終焉し、1990年は空白の10といわれた。その間潜伏していた多くの社会問題が急速に噴出しだした。そしていま、我々は複雑で多岐にわたる問題を抱えている。国家レベルでいえば、国の羅針盤を見失っている現在、政治家の器量不足、経済の沈滞、社会の閉塞感、そのなかで起こった東日本大震災、我々の行く手には大きな国難が立ちはだかっている。一般社会でいうと、少子高齢化が進行するなかで、無縁社会格差社会などが顕在化し、生活者の心に荒んだ環境をもたらしている。親の児童虐待、学級崩壊、家庭内暴力ニートやフリーターの大量出現、結婚しない世代の増加、高齢者の孤独死などなど、数え上げれば切りがない。日本の社会生活は悲鳴を上げているといっていい。この社会環境は平成時代に入って20年、急に進んだような気がする。

 「ローマの物語」全15巻を現した塩野七生氏は、イタリアからみていると日本は“平和呆け”しているのではないか、と五木寛之氏との対談で話されていたことを思い出す。豊かさを築いた日本人は、上述したさまざまな社会現象が発生しているにもかかわらず、平和呆けのなかで過ごしてきた。石原慎太郎東京都知事が「東日本大震災は天罰だ」といって顰蹙をかったが、その言葉だけを受け止めると内心共感するとことがあるのは私だけだろうか。21世紀に入り、時代は確実に変化している。情報革命という知価革命というか、社会構造自体がこれまでの構造に合わなくなっている。その現象がさまざまな社会問題として表出しているのである。

 新しい時代に新しい社会づくりが目前に必要になってきている。平和呆けした意識の転換を図らねばならないだろう。上述したような諸問題は一朝一夕に解決できるものではなく、我々が抱えながら、解決していかねばならない課題である。こうした国家的問題や社会的問題に、ラジオに携わる人間として何ができるか。また、パーソナリティとしてどのように取り組んでいけばいいのか、ここにラジオでありパーソナリティが歩む方向性のヒントが隠されているのではなかろうか。


■ 新しい時代のパーソナリティ像はどこから生まれるか!

 ラジオの「新たな社会的文化的役割」を求めるにあたって、このパーソナリティのあり方は非常に重要である。AMラジオ/FMラジオともさまざまな語り手が登場し、それぞれ人気を博してきたが、これからのパーソナリティは上述のような現代社会の抱えている問題や課題を、生活者の立場に立って見つめ直すことによって、1つの方向性が生まれてくるような気がする。ラジオの特色がリスナーとパーソナルなコミュニケーション回路を持てるメディアであり、それを担っているのはパーソナリティだからである。ラジオがリスナーという“生活者の友だち”である以上、友だちの困っている社会環境を積極的に取り組んで、社会変化の一端を担う役割はパーソナリティにとって価値ある分野であり、時代の要請でもあるように思えるがいかがなものであろうか。

 次回はこのパーソナリティが取り組んでいいと思われる社会環境である生活者の人間関係や生 活者の絆という面から触れてみたい。(了)