【第81話】 デジタルラジオのかたち・私論 (その2)

■ デジタル社会のアナログラジオデジタルラジオ

 社会情報基盤(インフラ)のデジタル化とともに動き出したデジタルラジオマルチメディア放送)の未来は、コミュニティFM(CFM)にとっても大きな課題である。しかも現在の県域ラジオが将来デジタル化する事態になると、アナログ放送であるCFMにとって大変な事態を招きかねない。情報社会の基本がデジタル化し、放送通信のすべてがそれに従っていく時代に入るとアナログの存在は消えていく運命となる。それは前回上げた例として、江戸末期から明治時代の情報伝達である“飛脚”と“郵便”の変遷をみれば明らかであろう。今回は社会の情報インフラがデジタル化することによって、情報伝達や情報利用にとってどのような変化が現れるのか、ラジオを念頭において考えてみたい。
 ラジオがデジタル化することはアナログツールからデジタルツールに変わるだけではないか、と受け止めるラジオ業界の人が案外多い。デジタルラジオは音声放送に加えて文字や静止画、あるいは動画が同じ電波で放送できるというコンテンツ付加要素が多く加わる。そのラジオがどんな姿になるのかを試みているところがDRP(デジタルラジオ推進協会)での試験放送である。今回「ラジオと地域情報メディアの今後に関する研究会報告書」(総務省)」にその成果が生かされているはずだ。そのアナログとデジタルをラジオメディアとして論ずる場合、アナログがデジタルになる基本的な違いはどこにあるのか。この点を明確に把握しておかないと、ラジオのデジタル化の本質が見えず、単なる伝達ツールの違いと受け止めてしまうことになる。ここが重要だ。

■ ラジオと社会情報基盤のデジタル化

 まず、アナログによるコミュニケーション技術について見てみよう。この技術は、電話も放送もそうであるが、1つのプロセスの上に成り立っている。電話であれば、受話器から電話会社の交換機を通して相手の受話器へ繋がる。放送であるラジオも、放送局のスタジオから送信アンテナを経由して受信機へと繋がる。それぞれ独立システムとして存在している。したがって、放送と電話が混在することはない。言い換えると、情報インフラとしてすべての分野の共通基盤とはなり得ない。これに対してデジタル化によるコミュニケーション技術は、すべてを1と0に、すなわち数字に置き換えて情報交換をするため、情報の共通基盤になり得るということである。電話は携帯電話やインーネットに、ラジオはデジタルラジオやインーネット配信に変わると、双方ともデジタル情報として混在できるようになる。これは他の分野も同様である。分かりやすい話が、デジタル情報は放送でも通信でも転用が簡単にできるということだ。ここに、ラジオのコンテンツがアナログと比較にならないほど広範囲に利用される可能性があり、社会情報基盤の上で様々な活路が見出せるのである。デジタル化したコミュニケーション技術は放送と通信の融合を促しながら、21世紀の新しい社会づくりに一役も二役も貢献することになる。

 こうしてみると、現代社会を構成している政府、行政、組織団体、一般企業はすべてデジタル化された情報システムを構築している。身近な環境にもデジタル化の大波小波が押し寄せている。家庭の電化製品をみればわかる。洗濯機、冷蔵庫、掃除機を筆頭にエアコン、電子レンジ、台所・お風呂の給湯器などなど、すべてがマイコンというコンピューターで動いている。ユビキタス・コンピューティング時代にはケイタイやPDAとこれらの電化製品が連携できるという。我々がひときわお世話になっているケイタイとパソコンは、すでに次の利用時代に入っている。ケイタイは持ち運びのできるパソコンとなり、IPADの登場により電子書籍、写真、映像などの閲覧やインーネットへの接続による様々な情報収集と発信が可能になり、パソコンは据え置き利用から移動利用へと広がっている。そして、PDA(ケイタイも含まれる)利用は、社会団体のHPや個人HP、ブログやツイッタ―により一般の人々が一般の人に向けて情報発信を盛んに行っている。正に、個人がメディアを持つ時代へと変化してきているのである。

■ ラジオの現在のポジショニンング! 

 アナログ時代には不可能だった独立したツール(放送や通信)を持つメディアも、デジタル化されることにより、情報インフラを通して、いつでも、どこでも、だれでも共通に利用できるフィールドへ参入できることになる。ここにアナログ時代とデジタル時代の情報伝達と利用の違いが現われていく。情報インフラによる情報社会の変化に対して、ラジオメディアの置かれている現状はどうであろうか。電子辞書が登場して以来、学生や一般の人は辞書を持たなくなった。辞書辞典はいまや本棚の隅に鎮座しているにすぎない。同様にラジオ受信機は押入れか物置に場所を移して、音を出さずに置かれている。情報の発信から受信まで独立したシステムを持つアナログ・コミュニケーション・ツールの存在がそこにある。若者のラジオ離れや大人の接触減少、スポンサーのラジオ離れはこうした時代の背景と無関係ではない。いやこの時代の変革にラジオがついていけないでいるのが現状ではなかろうか。(つづく)